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薄紅色の花びらが、ひらりと舞う。
昼食後の腹ごなしを兼ねて、コンラッドとキャッチボールをした帰りに、見覚えのある色の花弁が視界に入ったのだ。いつもは違う場所を通り帰っているから、昨日までは気付かなかったのだろう。
道に沿って同じ木が並び、そのどれもが一様に花を咲かせている。植物に詳しいとはいえないユーリが同じ木だと断定出来たのは、生まれ育った国で親しまれている花だからだ。
青く澄んだ空に白い雲が流れ、相反するような薄紅が並ぶ視界に感動して、思わず立ち尽くしてしまった。
眞魔国でこの花を見られるとは思っていなかったし、広場に植えられた木の名前など聞いたこともない。てっきり桜は日本の木だと思っていたのだけど、違ったのだろうか。
少し後ろを歩いていたコンラッドは、ユーリが立ち止まったタイミングで隣に立つ。「どうかしましたか」と声をかけられる前に呟いていた。
「桜、この国にもあるんだな」
「サクラ?」
傷のあるほうの眉を軽く上げて、彼が桜を見上げる。枝を覆い隠すほどに咲いていて、とても綺麗だ。僅かに吹く風に揺らされて、花びらが落ちていく。
「あぁ、実物は見たことがないのですが、チェリーブロッサムですね。この木と同じなんですか?」
「いや、おれも花に詳しくないから同じかどうかはわかんねーけどさ。桜にも種類あるし」
染井吉野やしだれ桜の名前くらいは、興味がなくて見分けはつかなくても、何となく知っている。それに、よく似た全く別の花だってあるだろう。
「ただ、似てるなーって。こっちじゃこの木はなんていうんだ?」
「サクラです」
「え? 同じなの?」
「いえ、実は俺も詳しくなくて、この木の名前を知らないんです。だから、サクラと呼びたいなぁと。いけませんか?」
いけませんか、と言われても、困ってしまう。個人で呼ぶ分にはいいけれど、気付いたらこの木は眞魔国中でサクラと呼ばれていそうで。そうなったら、この木に名前をつけた人が可哀想だ。だから答えずに、木に近寄って、幹に触れる。ざらりとした感触。
「日本じゃ桜は春、3月とか4月に咲くんだよ」
「まだ寒い時期ですよね?」
ついてきたコンラッドが、陰になった場所で目を細めて笑う。彼の瞳に浮かぶ銀の星が、ふわりと綻ぶのがわかった。地球の話が出来るのが懐かしいのだろうか。
「暖かくなってきた頃かな。暖かい日が続くなーと思うと、桜が咲き始めんの。そうすると、皆花見の場所取り始めるんだぜ。こっちじゃ花見ってする?」
「見たことないですねぇ。この木が花を咲かせるのも、初めて見たくらいですし」
「えっ、今まで咲かなかったの!?」
「ええ、といっても、ここ15、6年の間でですが。地球へ行く前は、ここにまだ木は無かったんです。帰ってきたら苗木が植わっていたので、誰かがここに植えたんでしょうね」
「じゃあ、おれとこの木は、だいたい同い年ってことか」
そんな話を聞くと、意味もなく親近感を覚えてしまう。ぱしぱし、と叩いて、たった16年でこんなにも成長することに少し羨む。まだ自分も成長途中であると信じてはいるけれど。
花見は日本でしかやらないのだろうか。もっともシートを広げている者の殆どは飲み会や雑談ばかりで、真面目に花を見ている瞬間はとても短いと思うのは、ユーリはあまり花見をしないからかもしれない。
コンラッドの袖を引っ張り、ふと思いついたことを実行するために城の中に駆け出そうとして、彼の足が止まったままなのに気付いて顔を見上げた。
「コンラッド、花見しようぜ。皆も呼んでさ」
「おや、皆でですか?」
残念、とでも言いたげに眉を寄せて、他の誰にも聞こえないように囁いた。
「あなたと二人で見ていたかったのに」
あまりの内容に、耳に入って脳へと伝わり、理解するまでに数秒要した。実際にはそれほどかかってないのかもしれないけれど、そのくらい衝撃的だった。
コンラッドは狡い。
彼と、恋人という関係になったのは、もう数ヶ月も前のことだ。ユーリが地球に還ってしまうということもあるけれど、キスさえあの時の一度きりで何も進展していない。身体を重ねなくても通じ合える想いはあるし、抱き締められることはあるけれど、それは、恋人になる前から同じだった。
魅力がないのだろうか、などと悩むほど乙女ではない。だけど本当に、この男の恋人だと思っていいのか。色気もないただの野球小僧と一緒にいて、彼に何の特があるのだろうかと。コンラッドの気持ちを疑いたくはないが、今までと全く変わらない態度で居られると、関係の変化さえ夢や都合のいい幻だったのではないかと不安になるのだ。
こんな、口説き文句染みた台詞さえ、以前からあったから。
「そういうこと、誰にでも言ってんじゃねーの?」
「え?」
「あ……」
口をついて出てきてしまったのは、下らない嫉妬だ。今更取り消せず、時間など巻き戻せるはずもない。
深刻な顔でじっと向けられる薄茶は、こちらの考えさえ全て見透かしてしまいそうだ。逃れるように掴んだままだった袖から手を離し、視線を逸らす。
「なんてな、ほらコンラッド。折角満開だし、皆で花見しようぜ」
単なる思い付きに仲間を巻き込んでしまうことにはなるけれど、何も今すぐというわけではない。明日でも明後日でも、桜が咲いている間ならいつだっていいのだ。
厨房係のエーフェに頼んで弁当を作って貰って、ビニールシート敷いて。
そこまで考えたところで、やはり名付け親は誤魔化せなかったらしい。大股で距離を詰められて肩を掴まれた。痛みを与えないように、だけど決して逃げられぬよう。
「ユーリ」
名を付けた彼の声は、一番力を持つ。キス以上のことをしないのは、恋愛感情じゃないって気付いたからなんじゃないのか。疑いたくなどないのに、どうして、こんなに苦しい。
トパーズ・アイと、揺らめく銀の星。苦しいのはユーリなのに、コンラッドのほうが苦しいと瞳が訴えているようだ。
「なんでもない。なぁコンラッド、離せって」
「俺は、またあなたを傷付けてしまったのですか」
違う。
ユーリは心中で否定しながら、声すら出せなかった。コンラッドも傷ついているであろうことを、悟ってしまったからだ。取るに足らないことで、彼の想いを疑うような発言、思わずでもするべきではなかったのだと反省する。
コンラッドは不器用だ。狂おしいほど愛しいひとを大切にしようとして、触れれば壊れてしまう硝子細工の宝物のようにユーリに接する。それが最愛の主を傷付ける原因になることも知らずに。
首を横に振れば、戸惑いながら指先だけで頬に触れられる。
「どうすれば、あなたを傷付けずにいられるのか、わからない」
泣きそうな声で、懺悔のようだった。かさついた武骨な手は温かいのに、切なさを伝える。
「なぁ、コンラッド。おれはさ、あんたに大切にしてほしいわけじゃないんだよ」
でも、と彼の口が動くけれど、見なかった振りをした。
「本当は、守られるのだって。おれの代わりにあんたが傷付くのは嫌なんだ。コンラッドがおれを傷付けたくないっていうんなら、あんたはあんたのやりたいことをやって欲しいんだよ」
それが、おれにとっての最善だから。そう締めて、頬に触れている彼の手を握った。見上げるほどに身長差のある、ユーリの何倍も生きている男の顔は、まるで迷子の子供だ。途方に暮れた様子で、声を絞り出した。
「そんなの、無理だ」
コンラッドにとって、ユーリは何よりも大切な存在であり、何を犠牲にしてでも守りたい存在だ。守り通すためなら、自らの命すら捨てることも厭わない。寧ろ、喜んで差し出すだろう。ユーリを守ることが彼にとってのやりたいことであり、守る対象が王である限り何かしらの原因により傷付くのは回避出来ない。
だがユーリも、答えなど聞く前からわかっていた。
「じゃあせめて、女の子を扱うみたいな接し方はやめてくれよ。こんな平均的日本男児のおれが、女の子に見える?」
「あなたを、女性だと思ったことはありません」
「だろ? おれはれっきとした男なんだ。ちょっとやそっとのことじゃ壊れたりしない」
微笑めば、彼の腕が背中に回って抱き竦められる。
「いいんですか」
何が、とは聞かなかった。きっとコンラッドでさえ、何の了解を得ようとしているのかわかっていなかったから。それでもいいと思ってしまった自分は、どうしようもないのだろう。
「いいよ」
「ユーリ。俺はきっと、あなたが思うより酷い男です」
「うん」
低く囁いた声が耳から全身に響いて、首筋に埋められていた彼の顔が正面に合わせられる。近すぎた距離から一歩分離れたお陰で、コンラッドの表情から憂いが払われていることがわかった。
「皆で花見、しますか? 俺はユーリと二人きりがいいけれど」
「そういう言い方卑怯だろ」
「すみません」
少しも悪びれもせずそう言うものだから、悔しくなって彼の胸を拳で突いた。
風が吹き、コンラッドの肩越しに木が揺れ、薄紅が舞い散る。きっとあと数週間もすれば、この木の花はすべて散り、緑の葉が茂ることだろう。
今だけしか味わえない瞬間を、一番近いひとと味わえることがとても嬉しいのだと気付いて、少し恥ずかしくなった。
出来るならこのまま、来年も再来年も、その先も。
「花見、二人でしようか」
「はい」
彼と、彼等と変わらず居られたらなんて、思ってしまったりして。
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