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世界はこれほど美しい


 双黒の主が、丘の先へ走り出す。それを目で追うだけにとどめ、背中を見つめた。
 緑が茂る小高い丘。ここからは、以前ウェラー卿がプレゼントした野球場がよく見える。沈みかけの夕日が地平線の向こうで揺らめき、木々は風に揺れ、雲は流れていた。いつも通り、何も変わらないはずの風景。
 赤い夕日に照らされた、双黒のひと。眩しくならないよう、コンラートが手を翳して陰を作る前に、彼が自らそうしてしまった。
「なぁコンラッド、見ろよ。すっげー綺麗な夕焼け」
「ええ、見ていますよ」
 主の両肩にそっと手を置き、出来るだけ同じ景色を見ようと僅かに身を屈める。
 とても、綺麗だ。心が動くとは、このことをいうのかと不意に実感した。
 脳裏を過ぎる、遠くに置き去った記憶。

 彼女は俺よりも世界を知っていたのだと、今になって思う。



世界はこれほど美しい

 





「あら、コンラート。あなたがここにくるなんて、珍しいこともあるのね」
 昼下がりに何となしに外へ出てみれば、ジュリアは服に土がつくことも気にせず、木陰に座っていた。
 木の幹は太く、葉は茂り、風が吹けばさらさらと音をたてる。天気がいいから気分がいいと、笑ったのは彼女だったろうか。
 空色の瞳は光を持たないにも関わらず、間違えることなくウェラー卿を見ている。
「声をかけたわけでもないのに、よくわかるな」
 二人にはまだ少し距離があるから、以前彼女が表したように、灰色の陰も作られていないはずだ。隠れようとしていたわけではなくても、目が見える者と同じように気付く勘の鋭さには苦笑してしまう。疑問というほど強くもない感想を、ジュリアは当たり前の事を子供に教えるように答えた。
「そんなの簡単よ。だって、歩けば足音が鳴るでしょう。歩き方だって人それぞれなのだから、聞こえる音だってそれぞれに決まってるじゃない」
「足音?」
 簡単、と言い切られ、コンラートは片眉を上げた。歩けば確かに足音は鳴るだろう。だが、足音だけで誰かを判別するのはそれほど容易くないはずだ。よほど注意深く聞くか、特徴のある足音でもなければ。
「人を判断するのは、見た目だけじゃないわ」
 ふわりと立ち上がり、やはり迷うことなく彼の方へ歩いた。伸ばした指が襟元を軽くひっかく。確かめるように手全体で、肩から滑るような動作で、装飾に触れていく。
「こうして触ればいつも通りの軍服を着てることもわかるし、あぁ、でもあなたの表情なら、何をしなくてもわかるの」
 相手の反応を面白がる子供のようだ。スザナ・ジュリアは少年のような心を持っている。いつだったか、ウェラー卿はそんな見解を持ち、今日まで変わらないままだ。貴族の淑女に対して、『少年』という表現は妙ではあるが、彼女はそう表現するのが一番相応しいのかもしれない。
「見たことがないのにか?」
「勿論」
 たっぷりの自信は、一体何処から来るものなのかと考えて、やめた。彼女は目が見えないぶん、感受性が豊かで、聡い。口にしようと躊躇った言葉にすら、静かに笑って返事することもある。
「それに……」
 静かな空間で、ジュリアは耳を澄ますように目を閉じた。
「何かが動けば空気は動くわ。そして、小さな風を作って、肌に触れる。人が近付けば温まるし、空が曇れば日は陰るから」
 だから何も不便なことなんてないのよ、と微笑んだ彼女は、素直なほど羨望がない。生まれつき盲目だから、目に映る世界を知らないのかとばかり思っていた。だからこそ、明るくいられるのかと。だが、実はそうではないのかもしれない。
 健視者と彼女では見える色の違う空を見上げる。
 コンラートは八十年余りの人生で、幾度となく謗られてきた。人間と魔族との混血という、ただそれだけの理由で。
 もう随分昔に置き去りにしてしまったが、幼い頃は、夢を持っていたこともあった。父と共に、旅をしていた頃は。
「ねぇコンラート、何か話があって来たんでしょう?」
 唐突なようで、彼女にとってはそうじゃなかったのかもしれない。疾うに気付いていたのだろう。彼がこの場所に来たのは、ジュリアを探していたからに他ならない。
「あぁ。近いうちに、アルノルドへ行くことになるだろう」
 世間話の続きのように答えて、ウェラー卿は微笑む。死地に赴くようなものだと、わかっていて。同じ人間と魔族の混血を募り、共に死ぬための兵士を率いて行かなければならないのだと。
 成人の儀で誓ってから、魔族の軍人として生きてきた。半分は人間の血だからと言って、今更寝返るはずがないのだ。それをわかっていてグリーセラ卿が進言したのなら、これから生まれる混血のために。
 いつだって笑顔を絶やさない彼女は、痛ましげに眉を寄せる。その意味を知っているのだろう。そして彼女は、彼が死をも覚悟していることを悟ってしまったのだろう。
「ねぇコンラート。今夜、もう一度この場所に来れるかしら」
「今夜?」
「そうよ。見せたいものがあるけれど、今じゃ駄目なの」
 もう一度出直す必要があるのかと問う前に頷かれた。




***




 あの夜、ジュリアに星の名前を聞いたのだ、と芋蔓式に浮かんだ過去を、ウェラー卿は懐かしんでいた。些細なことを噛みしめるように経験する彼女に、感動を覚えたことを、忘れてはいない。
 まともな葬儀すらなく、感情の整理すら出来ないままの永遠の別れに色を失い、枯渇し、哀しみを哀しみと認識することも出来なくなって。ユーリに出会い、共に過ごすことで、再び色を知ったのだ。気付けば懐かしめるほどに、辛い記憶を消化し、昇華していた。
 触れている主の肩から伝わる温もりに、コンラートは理由もなく安心する。
 彼の視力は他の者と同じように良好なはずだが、世界の見え方は、もしかしたら似ているのかもしれない。
「燃えてるみたいだ」
 夕日の赤がユーリの顔に映り、頬を火照らせているように見える。
「ええ」
 燃えるような夕焼けと、夜が既に訪れている空が混じり合い、街には闇を落としている。過ぎてゆく風が頬を撫ぜ、空気の匂いを運んだ。
 白いはずの雲は夕焼けの赤に染められ、陰影を作りながら流れていく。
 ユーリが教えてくれるまでは、気付かないままでいただろう。何もかも、いつも通り。いつもと同じだと。
 目の前のひとの身体を背中から抱いて、己の腕の中に包み込む。頬にあたる柔らかな髪と、突然の行動に強ばる身体が愛おしい。
「どうしたんだよ、嬉しそうだな」
「おや、そこから見えますか?」
「違うよ。あんたの顔くらい、見なくたってわかる」
 答え合わせなど必要もないくらい、確信に満ちた声。回した腕を掴まれて、外されてしまうかと思ったけれど、結局それだけだった。ぐい、と背中を押しつけられて、密着する。
「気付いていらっしゃらないでしょう」
「何が?」
 あなたのひとつひとつの行動が、これほど幸せにするということに。
 口に出してしまえば呆れられてしまうことがわかるから、何も言わないけれど。
 触れることを願ってはならないと思っていたひとが、今、こんなに近くにいて。名前を呼んでくれるということが、コンラートの心を何度でも浮き上がらせていく。

 彼がこの国の王になってから、世界は輝きに満ちた。
「綺麗ですね」
 景色だけではない。主は何よりも美しいと、心から思う。ユーリは世界の全てであり、コンラートの世界そのものでもある。だからだろうか。ユーリという王がいるこの世界は、とても美しかった。今まで気付かなかったことが、不思議なほど。
 彼を抱き締める力をぎゅっと強め、絹糸のような髪に口唇を寄せる。
「コンラッド、何かあったのか?」
 くすくすと笑っているところを見ると、心配しているわけではないようだ。
「いいえ、何もありません」
「そうかよ。じゃあ城に戻ろうぜ」
 猫のようにするりと腕から抜けて、また数歩先を歩くユーリを追いかける。
 特別なことは何もない。日常は今まで通りに巡り、今日が終われば明日がまた来るというだけ。
 何も変わらないけれど、何も変わらないことにすら、幸せを感じてしまう俺はもしかしたら相当の馬鹿なのかもしれない。
 だけどそれでいい。こうして彼の傍にいることが、幸せだと思えることすら嬉しいのだから。
 たったひとつのことに気付けたことが。ただひたすらに、嬉しいだけだ。
 長い時間をかけてしまったけれど、ようやく気付けた気がする。

 世界はとても美しい。きっと、この先も。生きている限り、ずっと。


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