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眩しい日差しの中、ウェラー卿コンラートは緑が茂る丘に座っていた。爽やかな風は薄茶の髪を揺らしていく。この場所からは、民が溢れる城下がよく見えた。
魔王は先日、地球へ帰還した。眞魔国に王が不在の今、軍にも籍を置いていない彼は暇を持て余すしかない。ユーリが魔王になることを決めてまだ日も浅いころ、この丘には主と共に来たことがある。賑わう街に目を輝かせる姿に思わず微笑んでしまえば、拗ねた様子でその理由を問われた。地球育ちには見慣れぬ品ばかりが並んでいるせいもあり、動き回る彼を見失わぬよう追いかけることすら楽しい。お忍びでの買い物も、繰り返すごとに幸せは積もる。
今以上の幸せなど想像も出来ず、このままで終わらせたいとすら願うようになった。
抱いてしまった邪な想いは、名前を付けずにしまい込んで。
だから、恋人という関係になれたときは、夢や法術かと疑ったものだ。
日常の些細なことでさえ、コンラートにとってはひとときも忘れられぬ大切な時間だ。何処に居ても、ユーリを想っている。コンラートの心を揺り動かせるのは、彼だけだろう。
不意に人の近付く気配がして、わざとらしく立てられた物音に溜め息を吐く。
振り返らずとも誰かはわかった。
「ヨザ、何の用だ」
「あらぁ、爺臭い雰囲気の誰かがいると思ったら、隊長でしたか」
誰かなどヨザックは気付いて寄ってきていただろうに、木の陰から出てきて、横に並ぶ。座っているコンラートと、立ったままで城下を見回すヨザックとは多少見えている景色が違うのかもしれない。
眩しさに眇めた目で、コンラートは空に流れている雲を追った。
「この前坊ちゃんが地球へお戻りになられてから、随分元気がないですね?」
「別に、どうということはない」
陛下だろと訂正するのも、そんなんで悪かったなと睨むことさえなし、とヨザックは筋肉で盛り上がる肩を竦めた。
コンラートを悩ませるのはユーリだけだということを、ユーリ自身が気付いていないのが厄介でもあり、いい気味だと笑えることもある。今回は前者で、血盟城にいる間も悶々とされては、周りの人間には目障りなのだ。
しかし、陛下に何を言われようと喜びそうなこの男が落ち込むとなると、相当なことだろうと当たりをつけて苦笑した。面倒な幼馴染みを持つヨザックは苦労する。
「ルッテンベルクの獅子とも呼ばれた男が、なんて顔してんですか。先の大戦で共に戦った連中が見たら、十中八九、目を疑うでしょうよ」
「……そんな話は今はしていないだろう」
「ですがね隊長、どうせあんたのことだから、ずーっと湿った空気を纏われるんでしょう。そんな男を身近に置かなければならない者の気持ちにもなってくださいよ」
遠慮のないヨザックの言は、僅かながらコンラートの気持ちを楽にさせた。
ユーリが戻ってくるときはいつも、数ヶ月の間が空いている。聞いた話によれば地球ではこちらほど月日は経っていないようなので、時間の進み方が違うのだろう。
ユーリにとっての数時間が、コンラートにとっての数日にもなるのかもしれない。
地球に帰ってからすぐに眞魔国に戻ることは、今まで一度もないのだから、つまりはそういうことだ。
「死に急いでいると、言われたよ」
溜め息と共に吐き出した言葉は、思いの外重く響いた。
コンラートの前では一人の魔族で在ろうとする主は、人を見る目は確かなものだと信じている。
何度も、死を覚悟した瞬間はあった。戦いになればその覚悟は決して無駄にはならないと、彼が気を負わぬようにと配慮してきたつもりでもあった。だがその配慮は、恋人としての彼の不安を煽る結果になったのではないかと。
自分がいなくても、ユーリは哀しむことはないだろう。国の重鎮と呼べる人物が消えれば、政務に支障を来すが、コンラートはただの護衛だ。いなくなったところで優れた人材は多いのだから、すぐに誰かが宛行われるはずだと。
朝、ランニング後のキャッチボールを終えた頃のことだった。
彼の指摘は図星だったのかもしれない。うまく切り返すことも出来ず、黒曜石の瞳に見つめられて。どうでもいいことならばいくらでも吐き出せる口は、彼の前で嘘など吐けるはずもない。
沈黙に耐えきれなかったユーリが声を出す前に、朝食は何がいいかと、他愛ないことを聞いて誤魔化したのは他でもないコンラートだ。
その直後汗を流すために入った湯殿で、中々出てこないことに心配になり様子を見に行ったら、姿は跡形もなかった。
「陛下はよく人を見ていらっしゃる」
ぽつりと呟いたのは、コンラートだ。それはヨザックに伝えるよりも、自身に言い聞かせるために口にしただけのようでもあった。何かを隠したとして、その何かまではわからなくとも察することの出来る聡明さを持っている。恐らく、一人のことだけじゃなく、他の者であっても同じだろう。
もしもウェラー卿コンラートという存在が、王を悩ます種となるのなら。祖国を離れ、大シマロンの軍服に袖を通す前ならば、姿を消すことを躊躇わなかった。だからこそ勝手な覚悟も出来たのだ。
だが、もうそんな真似は出来ない。
ヨザックがイェルシーに操られて一行の前に現れたとき。猊下に見えぬ場所で取り乱し、縋り付いてきた温もりを抱いて口にしたのは、その場限りの謝罪ではない。
「隊長、オレも陛下にそういう話は聞きましたけどね。オレが聞いた話は、隊長のものとは少し違うんですよ」
「なに?」
「隊長は話半分くらいで悶々として、あとの半分大事なところを聞いてなかったりするでしょう。多分、今回もソレなんだと思いますよ」
話半分しか聞いていないなど、信じられなかった。ユーリの声ならば、どんなに小さくとも聞き漏らすつもりはないからだ。
「オレが何言ったってどうせ、あんたの気持ちは変わらないんでしょうけど。もし陛下が今も本気でそう思っているなら、その不安を消してやれるのはウェラー卿しかいないんじゃないんですか」
呆れた口調に混じるのは、楽しげな色だ。大切なひとのことで悩んでいるコンラートを見て、楽しんでいる。
死に急いで、いたのかもしれない。早死にしたかったわけではないけれど、彼のために死にたいと思っていた。彼を守り死ねるのなら、それはとても幸せなことだと。
心から支持する者が王になり、これ以上自分がすべきことはなにもないという考えが、心のどこかにはあったのだろう。それまでの放浪とも違い、主に付き従い、叶うなら彼を守って死ねたらと。彼より後に死ぬつもりはないと。
そんな気持ちに、聡いひとは気付いてしまっていたのかもしれない。
そう考えていた時期があったのも確かだけれど、今は違うと断言出来た。
ユーリが統治するこの国で、彼の傍で。愛するひとの笑顔を、一番近くで見ていたいと思っている。自分という存在が彼の悲しみを生むのなら、その種を摘むのではなく、そっと包み込んで癒し、幸せの花に変えてやりたい。そして、彼か自分が息絶えるその時まで、そうできたらと。
手に入れた大切なものを、みすみす逃してやれるほどコンラートの心は広くなく、誰かと寄り添う姿を平気で見れるほど強くもない。
もう、大切なひとを苦しませたくはないのだ。
「どうにかしなければならないのは、わかってる。だが」
眉間に皺を寄らせてしまい、解すように指で揉む。
動くべきだとはわかるが、どう動くべきかがわからない。心を正確に伝える術があればいいのに。これまでこんな単純な問題で悩んだことなどないというのに、彼のこととなると不器用になる瞬間がある。ユーリを前にすれば何を並べ立てても、安っぽくなってしまう気がして。
「難しいことを考えるから、そうやって悩むんだろ。坊ちゃんは小さな子供じゃないって、隊長が一番知ってるんじゃないですか」
大人にした張本人なんだから、と付け足され、ニヤニヤしているヨザックを睨んだ。下ネタは嫌いではないが、ユーリが関わってくるのなら、話はまた別だ。
「隊長がそうやって悩んでると、陛下まで不安にさせることになるでしょう」
そんなはずはない。彼は今眞魔国にはいないし、もしいたとしても強いひとだ。臣下の悩みひとつで陛下が不安になることはないだろう。
否定の代わりに溜め息を吐くと、不意に浮かんだ疑問を幼馴染みに投げた。
「そういえば、何か俺に用事があって来たんじゃないのか?」
ヨザックが、用もないのにわざわざ来るはずがない。暇ならば彼の上司である、フォンヴォルテール卿のところに行くだろう。これ以上この男と二人きりでいたくもないから、目的を確かめようとしたのだが。
「え? あぁ、そうでした。先刻陛下が眞魔国にご帰還なさったそうですよ」
「は!?」
反射のように立ち上がって、眞王廟のある方向をじっと睨む。こんなに早く帰ってくるとは考えも及ばず、彼に何かがあったのだろうかと不安に駆られた。
グリエが嘘を吐くわけがないが、数えて日もまだ経っていない。
「湯殿からお帰りになったようですけど。どうやらウルリーケ様が呼んだわけじゃないみたいです」
今回は随分早いですねぇなんて、呑気なヨザックの言葉を背中で聞きながら、血盟城の彼の部屋へと走り出していた。この国にいるのなら、一秒でも長くユーリの傍にいたい。
走らなくても逃げはしないのに。
笑ったのは、双黒の魔王だ。
「少しでも早くあなたに会いたかったんです」
艶のある黒髪に触れると、まだ湿っている。地球のようにドライヤーがないから仕方がないとしても、このままでは風邪をひいてしまいそうだ。すっかり手が離されたバスタオルを引き継いだ。
寝台に座らせ髪を拭いていると、撫でられている猫のように目を瞑っている姿に思わず笑みが漏れる。もっと警戒心を持って欲しい反面、綺麗なものだけを見ていて欲しいとも思う。
水分を吸わせたタオルを、控えていた侍女に渡す。彼女が部屋を出て、二人きりになった。
「まさかこんなに早く帰ってくるとは思っていなくて、驚きました」
あなたが地球へ行って、たった数日ですよ。と伝えれば、地球では数時間しか経っていないと返された。
「ちゃんと話してないうちに地球帰っちゃったからさ、気になって。その日の夕飯前に風呂に入ったら、いきなり眞魔国行きだよ」
呆れているようだけれど、悲観しているわけではないことに安堵した。
「誰かと話でもあったんですか?」
「いや、あんたとだよ。なんか途中からすっごい落ち込んでたから」
誤魔化しなど通用しないと思わせる何かがあった。座っている寝台を叩き、隣に座れと示されてコンラートが腰掛ける。二人分の重さを支えた柔らかい寝具が沈んだ。
闇色の双眸が、全てを見透かすようだ。
「俺は、今でも死に急いでいるように見えますか」
飾らずに問うてみれば目を見開いて驚き、ばつが悪そうにガシガシと頭を掻いた。
「あー、それか」
頭皮を傷付けてしまうのではと、彼の腕を掴むとまた視線が合う。手を解き、左肘から手首までを撫ぜられた。
「死に急いでいるように見えた。でもそれは、過去形なんだ。今そう見えるってわけじゃない。だからさ」
少し低い位置から、澄んだ瞳が薄茶の瞳を覗き込む。しなやかな腕が伸びて、コンラートの頬に触れた。
「あんたがそんな顔すんなよ」
明るく笑っているユーリの手に、自身の手を重ねて包み込む。どんな顔をしているのかは見えなかったが、愛するひとの瞳に映る男の顔はひどく情けない。
「以前までは、ずっとそう見えていたってことですよね」
「違うよ」
かぶりを振ったユーリは、そうじゃないんだと否定した。
「ずっとそう見えてたんじゃない。前までは、気付かなかったんだ。気付かなくて、今のあんたを見てやっとわかった。あんたの表情は見なくてもわかるなんて思っておきながら、実際は半分くらいしかわかってなかったんだよな」
過去の自分の鈍感さに、ユーリは困ったような表情になる。鈍感であることにすら気付かなかった己を恥じるように。
「だから、おれがいいたいのはさ、コンラッド」
まるで他愛ない世間話のようにさりげなく。
だけどコンラートには春の日差しのようにすら見える朗らかな笑顔で、彼は言葉を紡ぐ。
「またひとつあんたを知れて、嬉しいってこと」
クサい台詞を吐くなとよく照れるが、彼のほうがずるい。何気ない一言で、コンラートの心を動かすのだから。
ユーリの背中に腕を回し、自らの胸に彼の頭を押し付けさせた。楽しげな気配に胸元を擽られ、漆黒の髪に指を通す。
もう、彼なしでは生きていけないのだと思う。彼がシブヤユーリとして生まれたその瞬間から、そういう生き方しか出来なくなった。温もりを知ってしまえば、それを失うのが怖くて。大切なものを失うことの苦しみを、知ってしまっているから。
なくては生きていけないもの。傷付けて傷付けて、それでも追い求めてしまうもの。酸素のように目に見えないものではないけれど。
大シマロンに身を寄せている間に、彼はより凛々しく聡明に成長した。いずれ自分など必要としなくなるときがくるだろう。それは明日かもしれないけれど、コンラートが手放せるはずがないのだ。
顔を上げた彼の額に口付けを落とすと、ユーリの腕が首に絡まった。
幸せだ。
全ての色を褪せさせることも出来れば、輝かせることも出来るユーリという存在がいるということが。その傍に自分自身がいることが。
「俺も、嬉しいです」
先程あの丘でヨザックと話したことを思い出す。話半分で悩むなと指摘されたのは、このことだったのかもしれない。今となっては、もうどうでもいいことだ。
幸せだ。幸せを幸せと伝えられる今が。
これから先も、この気持ちを与えられながら生きていくのだろうか。そのほんの一握りでいい。彼に幸せを与えられたら、だなんて、傲慢な考えかもしれないけれど。
「ユーリ」
自らが名付けた愛しいひとの名を、こうして呼べる今を刻み込もう。
俺が朽ち果てるその日まで。
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