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雨続きだった数日が過ぎた。ギーゼラが古い友人を思い出したのは、ようやく青空が見えたことがきっかけだろう。鈍色の雲に覆われているときは、目の前のものしか視界に入らなかった。それさえ気付かず、惰性で生活していたというのに、晴れた途端に開けたかのようだ。
気候のせいで鬱いでいた心を読んで、彼女が前を見てと伝えにきたのかもしれない。あのひとは、太陽の下がよく似合っていたから。
思い出し、無意識に口元が緩んでいた。
もう彼女の最期を後悔するだけではなく、共に過ごした日々を笑えるようになった自分に気付いたからだ。直後は墓石を撫でて、遺体のない墓に空しさを覚え、不意に過ぎる彼女の残像に涙していたのに。突きつけられた悲しみは、時間をかけて呑み込んでいける。
逢いたい。逢いに行きたい。
ジュリアがいなくなって、多くの変化があった。伝えたいことがたくさんある。離反したアーダルベルトのこと。眞王廟に向かったきり、行方をくらましたコンラートのこと。ゲーゲンヒューバーのこと。
気持ちは既に彼女の元へ向いていた。
歩く道は舗装されていないせいで、ところどころぬかるんでいる。乾いている部分を選んで歩きながら、水滴できらきらと輝く生け垣を堪能していた。
腕に抱えた白い花が歩くたびに揺れ、包み紙が音を立てる。花も包装紙も慎ましやかだったが、それで良かった。元より彼女は見た目や値段に拘る人ではない。
選んだのは昔、ジュリアが好きだと言っていた花だ。
生まれつき視力がなかった彼女は見えないことが不便ではないと、花壇に咲くいくつかの草花を言い当てた。花弁や茎に触れて手触りを確かめ、顔を近付けて香りを楽しんで。
視覚に頼らない分、全身で確かめているかのようだった。見えなくても感じるものは溢れている。それに気付けるのはとても嬉しいと笑った日を今でも憶えていた。
空は高く澄み渡り、彼女の瞳と同じ色をしている。白妙の雲は風もないために留まり続けていた。ジュリアは空の表情を察し、自然のものはみな美しいと微笑んでいた。目に映るものではなく肌に触れる感触、耳に聞こえる音、風の匂いで空間を把握していた。
ギーゼラは十六の時に十貴族の一員となり、フォンクライストの姓を名乗ることを決めた。それにより捨て、失ったものもあったけれど、得たものも大きい。その一つがジュリアという大切な友人だ。
彼女が生きることをやめたあの日を忘れはしない。命をとめた彼女の身体に、火を放った日を忘れはしない。
瞼を下ろせば、焼き付いた光景が何度でも甦った。青白い炎。焦げた匂い。生きた証は骨さえ残らないのに、幸せな記憶だけを遺して消えてしまったひとを、忘れたりしない。
墓標が並ぶ広場に出ると、丁度目指そうとしていた場所に、見たことのない服を纏った男が立っていた。
深い茶の髪は、よく知る友人を彷彿させる。ジュリアの死を知った彼が唐突に消え、次代魔王の魂を運ぶために国を発ったと養父が口を滑らせたのは少ししてのことだ。
振り返った彼はやはりよく知る男で、だが、その顔には見たことのない笑みを浮かべていた。
「ギーゼラか。久しぶりだな」
「ええ、お元気そうで何よりです」
ジュリアの墓には花束が飾られている。コンラートが持ってきたのだと考えていいだろう。その隣に自らが持ってきたものを並べた。
「その服はなんですか?」
「服? ああ、これか。スーツというんだ。あちらの世界のものだよ」
スーツと呼んだ民族衣装の襟をつまみ、微笑んで見せた。素材は軍服と似ているが、作りは別物だ。
ウェラー卿の表情はこれまでとも、最後に見たものとも全く違っている。その差に困惑した。この世の全てに絶望していた彼を、こんなにも大きく変えたものは何か、想像がつかなくて。
剣で自らの喉を突き、後を追うのではと不安になるほど憔悴していたのに、哀しみを乗り越えた雰囲気。
「あちらの世界?」
「まだ還ってきたばかりなんだ。聞いてくれ、次の王は双黒だ」
ウェラー卿の云う『あちら』が何処かはわからなかったけれど、信じられないのはその次の言葉だった。双黒を、産まれてから今まで目にしたことはなかったから。
眉と交差するようについた傷を動かし、幸せそうに笑う。別人と見紛うほどの変化は、彼の中で何かに決着をつけられたのだろう。だから今、彼は此処に居る。
眞魔国から姿を消していた数年間は、ジュリアの死を認め、受け入れるために必要な時間だったのかもしれない。
「双黒なんて、伝説の中にしかいないと思っていました」
「俺もそう思ってた。だけどこの目で見たんだ」
まるで世界中の幸せを集結させた光景を、目の当たりにしたかのような。小さなものを慈しむようでいて、その存在に護られているかのような雰囲気を醸し出していた。
見上げれば、七色の架け橋が空に大きな弧を描いている。
本当は、今まで何処に行っていたのかを詳しく聞きたい気持ちもある。
だけど彼はもう大丈夫なのかと思ったら、未だ見ぬ主に心からの感謝の気持ちを贈りたくなった。それだけで充分だった。
「楽しみね」
こんな哀しいことで命を落とすひとを、もう見たくないの。
そう呟いた彼女の言葉を反芻して、青く広い空を見上げる。
ジュリア。次にこの国の頂点に立つ王は、言葉を交わさなくても人に希望を与えてくれる存在。だから、この国から、この世界から、哀しい最期を迎える民が一人でもいなくなる時は、近いのかもしれない。
薄茶に散ったコンラートの銀が煌めいていて、胸が喜びに満たされる。ジュリアが遺したものは、決して無駄ではなかった。
彼女が起こした行動は、コンラートを次に繋げるすべての糧となったのだ。
空は青く、風は澄んで草木を揺らし、花々の香りを運ぶ。
分厚い雲に覆われて、雨が降り続いたとしても。いつか止み、陽は昇る。たとえ見えなくても、生きている限り太陽はそこに在り続けるのだから。
そうして架かる虹は美しく、人々の心を魅了するのなら、たまには雨が降るのもいいのかもしれない。
ジュリアが教えてくれたことは、誰かの胸に宿り、やがて他の誰かに伝えられていくのだろう。
だから今は、心からこの言葉を口に出せた。
「お会い出来る日が、今から待ち遠しいです」
「ああ、本当に」
未来への希望を携えて、次期魔王陛下がお還りになられる日を。
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