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ひとひらの愛


 青年は、真っ白な花束を抱えている。彼が佇んでいるのは、冷たい石の前だ。輪郭をなぞるように指を滑らせ、訪れる者のいなくなった場所で静かに目蓋を下ろす。
 顔つきはアジア圏の人種特有のもので、髪や肌の色を見ても、東洋人と言えるだろう。だが、中世ヨーロッパの貴族を彷彿させる服装が、見る者に違和感を植え付けていた。
 陽光に透かしても変わらない闇色の髪を、吹いた風が揺らし、抱えた花の匂いを運ぶ。塀を隔てると途端に無音になる場所で、かさりと包装紙が音を立てた。
 花束を置き、彼はゆっくりと手を合わせる。
 石は、墓石だった。

 有利が地球に還るのは、もう百年ぶりのことになる。
 眞魔国の魔族として成長する彼は、人間には加齢を止めたように映るだろう。そしてその事実は、事情を知らない者には掴みどころのない恐怖を与える。
 子供の頃のように地球と眞魔国の行き来が自由ではなくなり、次第に躊躇うようになった。人間と魔族の寿命の差は、歴然としている。少年のような見た目のままの男を、不審がる者が出てくる前に、有利は故郷へ還ることをあきらめた。
 時折母国に戻ることも、家族の様子を見ることもせず、一世紀。
「久しぶりだな、お袋も、親父も、勝利も」
 小さく笑みを浮かべ、石に向かって語りかける。
 目を閉じればまるで昨日のことのように想い出せる、地球での日々。楽しかった学生生活も、友人との草野球も。どれもかけがえなく、同じくらいに大切だった。
 だが、流れる時間は誤魔化せない。
 百年という歳月は、魔族にはあっという間に過ぎても、人間にとっては長すぎる。
 通い慣れた通学路も、何度も足を運んだスポーツ用品店も、実家があったはずの住宅街も、それだけ経てば見知らぬ街へと変化していた。
 決めたのは有利だ。だから、後悔はしていない。
 けれど、寂しいと感じてしまうのは、仕方のないことだろう。もう故郷に彼を知る者は、地球の魔王ただ一人しかいないのだから。
 花立てに簡単に生けると、花は白だけではなく、ピンクや赤も混ざっていることがわかる。それらは全て同じ種類で、名はカーネーションだ。
「遅れたけど母の日だったからさ、これはお袋にな」
 最後に見た泣き顔ではなく、記憶にある快活な母を想う。花束を受け取れば、彼女は大袈裟すぎるほど大袈裟に喜び、晩には父に報告しただろう。
 だが、もうそんな姿は目に映せない。
 彼等が生きているときは、照れ臭さが大きくてそうしてやれたことはなかったけれど。娘を持ったからこそ、両親の心がわかった。両親に与えられた愛情によって育ち、多くの助けがあって、今此処に立っているということも。
 時々は還ってきなさいと寂しげに微笑まれ、曖昧に笑った日を忘れはしない。
 或いは渋谷有利ではなく、彼等の孫として会いに行くことも、選択肢には含まれていた。
 そうしなかったのは、家族と異なる時間を過ごしている自分を、認めたくなかったから。
 地球を離れて働いている間、眞魔国も大きく変わった。王政の廃止にまで至っていないが、戦争放棄を宣言し、既に半世紀を過ぎている。
 今回の帰郷は、その報告も兼ねていた。
「ずっと還って来なくて、ごめんな」
 周りに誰もいない中で、答えもしない石に向かい、話しかけ続けるさまは、傍から見ればひどく滑稽だろう。わかっていて、そうせずには居られなかったのだ。
 彼の護衛は過保護で、何処かに隠れているのかもしれない。だが今この場所では、王ではなく、魔族でもなく、一人の日本国民でいたかった。
 どちらも大切だからおざなりにはしたくなくて、漸く納得がいく結果を出せた時には、両親も兄も他界していた。
 心配をかけて、葬儀にも顔を出さない息子を、親不孝者だと罵る声もあったと聞く。それでも多くの場合に否定するのは、年老いた彼等だったのだとボブに伝えられて、何度会いに行こうとしただろう。
 会いたくないわけがなかった。還りたくないはずがなかった。いつだって還りたくて、せめてもっと長く、彼等の庇護下に在れたらと苦しくなる日もあった。
 だけど、それを選ばなかったのは、助けてくれる仲間がいたからだ。そうしてしまえば、きっといつまでも逃げ続けることになると、わかっていたから。
「今さ、すごく幸せなんだ」
 愛娘にも先立たれ、血の繋がる家族さえ失った有利は、穏やかに口角を上げる。本当は誰もが、この結末を予想出来た。ただずっと目を逸らし、見ないふりをしていただけで。
 失う日が怖くなることもあった。喪ったときは、覚悟していても涙は流れた。
 だけど、どんなときも、孤独にさせてくれない人々に与えられた温もりが、彼の背中を支えた。
「ありがとう」
 母に宛てて。父に宛てて。兄に宛てて。
 昔は言えなくても、今なら素直に口に出せた。
「愛してくれて、ありがとう」
 もう二度と、会えないけれど。
 もう二度と、言葉を交わせないけれど。
 家族を喪っても、彼等に贈る、有利の愛情は生きている。
 彼等が有利に注いだ愛情は、今も胸に生き続けている。
 次に還る日は数年後か、数十年後か、予想は出来ない。だが有利が生きる限り、与えられた愛情と共に、彼等も生き続けることを知っていた。
 だから、さようならは要らない。
「もう行くな」
 ゆっくりと後退して、そこに三人が居るかのように笑いかける。
「また、来るから」
『次』の約束が出来るのは、幸福なことだ。有利は噛み締めながら、この先何度でも約束をし続けるのだろう。

 霊園を出ると、予想した通り背の高い男が一歩、青年に近付く。顔を上げることもないまま、身体を傾け、男に体重を任せた。
 咄嗟に受け止めた彼が、身をかがめ、口元を耳に寄せる。
「辛いですか」
 なんてチープだろう。わかっていながら、男はそうとしか尋ねられなかった。
 深い茶の髪を垂らし、珍しい虹彩を揺らしながら、有利の背中に腕を回す。その温もりに委ね、彼の胸に頬擦りするように甘えた。今は、そうしていたかったのだ。
「大丈夫だよ」
「本当に?」
「うん、あんたがいるから」
 立ち止まり、後ろを振り返りたい時もある。血を分けた家族を恋しく想うこともあるだろう。
 だけど、男がいる限り、有利は独りにならなかった。
「還ろう、眞魔国に」
「いいんですか」
 寂しげな笑みで頷いて見せた青年が、歩き出す。
 此処にはもう、彼が懐かしめる場所は残されていなかった。
 ボブによって守られている墓地は、これからも在り続けるのだろう。
 この場所がある限り、有利はいつだって還ることが出来る。
「また来ればいいんだ」
 それで、充分だった。

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