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陽だまりを見つけたんだ


 清潔な病院の待合室で、コンラートはぐるりと辺りを見回した。白い壁と天井に覆われ、働く者は皆白を纏っている。静謐な空間で時間がなだらかに過ぎていくさまを傍観しながら、大型連休で平常より増えた人々に紛れた。
 不意に呼ばれて振り返ってみると、勝馬が抱いている何かに気を遣いながら歩いてきている。両手で抱えるほどの大きさで、遠目にみるだけでは何かはわからなかったけれど、やわらかな布に包まれているようだ。
 彼が近づくにつれ輪郭ははっきりとして、僅かに見えた黒い頭にどきりと胸が高鳴り無意識に息を呑んでしまう。その正体は生まれたばかりの赤ん坊で、誰かなど考えるまでもない。
 穏やかな寝息をたてて眠っている幼子は、今からそう遠くない未来に国主として眞魔国に君臨するひとだ。
「抱いてみるか?」
 起こさないように抑えた声で、悪戯っぽく笑った勝馬が軽く突き出して、魅力的な誘いだが首を横に振って応える。この腕に抱いたところで、眠っている彼の記憶の片隅にも残るはずがないけれど、そうすることが正しいように思えた。
 胸ポケットの小瓶に入っていた魂がいつの間にか消えて、第二子が出来たという連絡にほっと胸をなで下ろした日を、今でも覚えている。
 恐る恐る指を伸ばし薄ピンクの布を退けると、細くて柔らかい髪の毛に触れた。ミルクと太陽の匂いが鼻腔を擽り、弟が生まれたときのことが甦る。ヴォルフラムは金糸の髪をきらきらと反射させていたが、目の前の双黒の人は光を吸収して内側から輝いているかのようだ。
 ぎゅっと握られた両手は広げてもコンラートの手のひらよりずっと小さく、しかし確かな未来を掴んでいるようにも見えた。
 ジュリアとして生きた過去の全てを封印した、護りたいと願った女性の魂を受け継いだひと。彼が生まれたということは、もう二度と彼女には会えない証明にもなる。旅を続ける中で死を受け入れ、希望を見出した胸には一抹の寂しさが奥底にあって、けれどそれを上回る歓喜が呼吸を震わせた。
 主が眞魔国に還ったとき、今ここで出会っていることさえ知らないだろう。まだ幼すぎて、いつか世界の全てさえその手に掴めるということもわからない。
「この子の名前、ユーリっていうんだ」
「ユーリ」
 初めて聞かされた未来の魔王の名を反芻して、じわり、とひどく優しい何かが胸に染み渡り、枯渇した感情を潤わせていく。
 ユーリをユーリとしてではなく、ジュリアの生まれ変わりとして接してしまうのではという懸念も僅かにあったが、姿を目にしたら何もかもが吹き飛んだ。彼はジュリアじゃない。たったひとりの主、―――ユーリだ。
「あんたが言ったんだろ? 夏を乗り切って強い子に育つから、って」
「それは……そうだが、まさか」
 まさか採用されるとは思っていなかった。ユーリ。故郷で七月を意味する音も、この瞬間からどんなものよりも特別な響きになる。
「ユーリ、……陛下」
 自らがつけたことになった名を噛みしめながら声にして、すぐに不敬だと気付く。たとえまだ王ではなくても、ウェラー卿が仕える相手は彼ひとりだ。
 安らぎに満ちた寝息をたてる名付け子に笑みが漏れ、マシュマロのような頬をそっと撫でた。
「ショーマ」
「ん?」
 気付かないはずはないだろう。父君は真向かいに立っていて、喜びに満ちた笑顔を浮かべている。それでも問わずにはいられなかったのだ。
 締め付けられる胸の苦しさは、決して、哀しみによるものではない。
「嬉しいはずなのに、どうしてかな。涙が止まらないんだ」
 頬を濡らす雫は、彼女が魂だけの存在になったときに涸れてしまったはずなのに。これほどまでの温かい気持ちで、泣く必要なんてどこにもないはずなのに。堪える余裕も与えずに気付けば涙が伝っていた。
「俺も、すごく嬉しいよ」
 柔らかく微笑む勝馬はそんなコンラートの内心に気付いているのか、初めて会ったときともボールパークへ連れられたときとも違う、父親の顔をして頷いた。
「なあコンラッド。寂しくないのか?」
 ユーリが母国に発つ前に帰路につくという話はしていたから、勝馬が気遣うような視線を向けてきて苦笑した。奥方の身体に宿る前まで、会話はなくても共に過ごしてきていた魂は、眞魔国に帰ってしまえば成人するまで姿を見ることはない。寂しくないはずがないけれど、だからといって何が出来るというわけでもないから。
 今は彼が過ごす場所がこの家族の元でいてくれることに感謝したい。たった一、二年ほど前に会ったばかりの男の心配をするほど優しくて、その間に触れてきた人間性に、あたたかな家庭が容易に想像できるところで良かったと、そう思えた。傍で成長を見守れないのは残念ではあるけれど、眞魔国へ彼が還ったときに少しでも過ごしやすいよう変えていくのは自分にしか出来ないことだから。
 だから質問には答えないまま曖昧に笑うだけにする。
 王の魂を運んだという栄誉を、誰が知ることはなくても。名を付けたのが自分だということを、彼が知ることはなくても。此処から遙か遠い地で想えるだけで。家族の愛情を受け、健やかに育ってくれるのなら何よりの僥倖だ。
 そう考えているだけで、明日への大きな活力になるだろう。満たされない十数年間さえ、コンラートにとっては大きな意味を持つことになる。
 微笑みを浮かべたまま赤子を見つめる男にため息を吐いて、勝馬はその話題を終わらせた。
「コンラッド、うちのゆーちゃんがそっちの世界に行ったとき、よろしくな」
「………ああ、勿論だ」
 安らかに息をたてる寝顔を眺めているだけで頬が綻び、ユーリ、ともう一度口唇だけでその名を形作った。愛おしいその存在に向けて、綺麗な感情だけが届くように。
「ああそうだ、コンラッド。一回会ってるだろうけど、ちゃんと嫁さんに紹介するからここで待っててくれ」
 思い出したように受付付近で勝馬を探す女性を視界のはしにとどめ、ユーリを抱いたまま彼女を連れに人混みの一部になる。
 会うつもりはない、と断る前に去っていく父子を見送ると、彼等が戻らぬうちにその場を離れ、病院を出た。

 瞳を見ることは叶わなかったけれど、穏やかに眠る姿を見られただけで良かった。自らが仕える主は確かにいるのだと、指先で触れた熱は未だ残っている。
 抜けるような青空を見上げて、どちらの世界でも変わらずに流れる雲を眺めた。
 干からびたはずの感情はいとも容易く呼び起こされ、胸に灯った熱はいつまでも消えることはないだろう。

 いつの日か、眞魔国でお会いできる日を楽しみにしています。
 届くことのない言葉を、口唇に乗せて。

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