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眩しく輝く月、あの地よりもよく見える星々に、初めて抱いた小さな主の温もりを想った。
薫る優しい春の風に安らかに眠る主の寝顔を想い、日常に溢れるすべてに見つけ、そうして明日を迎える幸せに浸ったことを、彼は知らないだろう。
眞魔国の美しい風景をその目に映してくれる日が待ち遠しくて、そんな自分に気付いて笑みが漏れたことも、彼は知らない。
けれど、それでいいと想えたのは、いずれこの地へ還られるということがわかっていたからだ。
主に再び会えたとき、この感情は昇華し喜びへ変わると、知っていたからだ。
待ち遠しくなる気持ちすら、未来への希望へと繋がって。
十五年間、ずっと待ち続けていた。
色褪せることを知らないまま
数人の使用人がそれぞれの仕事をしている以外は、人のいない通路を歩いていた。昼食後に長兄と共に執務室へ籠もってしまったユーリの元へ向かう。
王が国を空けている間、血盟城は寂しく静かな時間が流れていた。残光があるかのように主を想い、見付からないことに溜め息を吐いて日々を過ごす。そんな城は彼が還ってきている今、活気があり皆笑顔を絶やさなかった。
頃合いを見計らって厨房係に作らせた甘い菓子は、きっと喜んでくれるだろう。紅茶も忘れずにワゴンで運ぶと、重い扉を叩いた。
覗き込んでみれば彼の集中は既に限界だったようで、まるで救いを見つけたかのように勢いよく顔を上げている。呆れた様子で一瞥してきたグウェンダルとは対照的だ。
疲れた脳には糖分をと差し出した菓子は彼が以前好きだと云っていたものにした。勿論紅茶はそれに一番合うものだ。
香り立つ甘さに摂政はあからさまにため息を吐いたが、それが休憩の合図となった。
片付けたユーリの机にカップを置いている間に、グウェンダルは出て行ってしまう。宛行われた部屋に残してきた動物達が気に掛かるのだろう。先日拾ってきたうさぎの仔が産まれたという噂を、侍女たちから聞いていたから。
「その仔うさぎの傍に、親がいないわけじゃないんだろ? あんまり人間が……魔族が近寄らないほうがいいんじゃないか?」
火傷をしない熱さの紅茶を注ぐ。甘いものが欲しかったとばかりに角砂糖を放り込み両手で持ち上げたティーカップを傾けていた。
「そうかもしれませんが、遠くからでもその姿を見ていられるだけで十分安心なんですよ」
「そういうもん?」
「ええ、そういうものです」
音を立てないようにそっとソーサーに置いて、見上げてくる。
自分には、グウェンダルの気持ちがよくわかるから。どれだけ遠くても、その成長を見守っていたかった。親の子育てに不安はなくても、その成長を見ていられたらどれだけ良かっただろう。決して叶わぬことと、願ってはならぬことと知っていたから、口には出さないけれど。
僅かにも名付け子と重ねたと匂わせたつもりはなかったが、聡明なひとは気付いてしまったらしい。
吸い込まれるような闇色の瞳には、ひとつの期待が見え隠れしている。
ああ、なんて美しいひとなんだ。
脈絡もないことを考え、そんな感慨にふけってしまうほど入れ込んでいることに気付いていたけれど、どうでも良いことだった。美醜に関係なく大切で、この感情に名前を付ける必要はない。
どうでも良いことに思考を巡らすより、甘く柔らかい声を聞いていたかったから、何かを云おうか云うまいかと迷っている少年に、視線だけで言葉を促した。
「おれが眞魔国に来るまでの間、想い出してくれたりした?」
そんなことを問うてくれるものだから、つい笑ってしまった。
途端に拗ねて、聞かなければ良かったと視線を逸らされてしまう。馬鹿にしたのだと勘違いをしてしまったようだ。
俺はただ、当たり前のことを尋ねてくるものだから、愛しさが溢れだしそうになっただけだというのに。
すいません、と一度謝って、質問に答える。
「まさか。想い出す暇なんてありませんでした」
「……あー、そうだよな。あんただって忙しかっただろうし」
そう、想い出す暇なんてなかった。
明らかに落胆の色を見せた彼の髪に指を伸ばし、つられるようにして上げられた双眸を見つめる。初めて腕に抱いたときに見たまま変わらない、主だけが持つ深い夜の色。
日常のすべては彼に彩られていた。起こす行動のすべては彼のためでしかなかった。それは今も変わらないし、この先も変わらないと確信している。
主が眞魔国にいようと、地球にいようと、何ひとつ転ずることのない真実。たったひとつの、名付けようもない祈り。
「想い出すなんてとんでもない。ずっと、あなたのことを考えていました」
想い出すということは、一度忘れるということだ。
忘れる時間なんて、ひとときもなかった。忘れることなどなく、ただ、彼のことだけを考え続けていた。
「云ったでしょう、十五年間、ずっとお待ちしていたと」
一瞬たりとも忘れたことなどなかった。ユーリは、俺のすべてなのだから。
想い出す必要なんて、何処にも存在していなかった。
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