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甘やかな祈り


 いつもより寒い朝、重い瞼を持ち上げると、ヴォルフラムの不機嫌な顔に覗き込まれていた。
 朝一番に見るのが金髪美少年だなんて、おふくろが聞いたらはしゃぎそうだ。自分よりもいぎたない自称婚約者が早起きするなどありえないと思っていたせいで、負けず嫌い精神が微かに疼いた。
 視線を滑らせ外を見ようと思ったが、閉じられたままの分厚いカーテンの隙間から差し込む光が、朝のそれではない。ロードワークもキャッチボールも、ヨザックに付き合ってもらうはずだったのに。半分ほど起き上がったところで、重力に逆らえずにベッドに逆戻りしてしまった。
 溺れるほど柔らかいベッドは弾むことなく上半身を受け止める。頭がひどく重かったけれど、態勢を動かした際に額から落ちた白い何かのせいではないようだ。
 説明してくれと湖底色の瞳に訴えると、呆れた様子で短く溜め息を吐かれた。
「ギーゼラはただの風邪だと言っていたが、今日はゆっくり休んでいろ」
 昨夜はヴォルフラムも同じベッドで寝ていたから、移さなかったかと心配になったけれど、濡れたタオルを額に置き直す冷たい指に肩の力を抜いた。
「ヴォルフ、手冷たくないか?」
 想像以上に声が掠れていて喉を押さえる。
「ユーリが熱いんだろう」
 そうかもしれない。目を閉じると、まだ眠れそうな気がする。
「もう少し眠っていろ」
 不機嫌そうにしているが、怒っているわけではないようだ。怒っているとしたなら、その矛先は此処にいるはずのない誰かへ向かっているのだろう。
 彼がこの国を出て以来誰もがあの名前を口にすることを躊躇い、噤んでしまった。
 淋しいことなど何もない。淋しくなるはずがない。
 此処は故郷で、みんながいる。だけど故郷と呼ぶべきものに必要な、決定的な何かが欠けているのもまた事実だった。
 きれいに忘れられず、日常の一つ一つに紛れる匂いに記憶を甦らせては、二度と戻らない日々に感傷的になって。けれど大丈夫だ。
 今は単に身体が弱っているから、こんな気持ちになるのだろう。タオルの位置を目まで隠れるようにずらして、目蓋を伏せる。ベッドの傍らに置いた椅子に、三男が腰掛けたのがわかった。
 おやすみ、ヴォルフラム。
 喉が痛くて声にはならなかったけれど、出逢った頃より大人びたボーイソプラノが答えた。
「おやすみ、ユーリ」

 名前が呼ばれた気がして目を開けると、最初に視界に入ったのはダークブラウンだった。目蓋をかさついた指でなぞり、目尻を擦られて身じろぎするとくすりと笑われる。
 カーテンが閉まったままの部屋は薄暗かったが、爽やかな笑顔はよく見えた。
 彼はまだ還ってきていないはずなのに、身を包んでいるのは見慣れたカーキ色。どうしてここに? と視線を投げたら眉を僅かに下げた。
 悪戯に失敗した犬みたいだと片隅で考えながら、きっちりと着込まれた軍服を眺めた。
 誰も彼が還ってくる話はしていないから、にわかには信じられない。汗ばんだ額に貼り付いた髪をすくい、邪魔にならないよう後ろに流している。
「あなたを驚かせたくて、内緒にしていたんです」
 サプライズは失敗でしたと微笑んで、ずれた布団を直された。
 ロードワークやキャッチボールは、ヨザックの代わりに彼が相手をしてくれる予定だったらしい。
 それならそうと、朝起こしに来てくれれば良かったのに。
 嬉しいはずなのに、安堵のほうが大きくて息を吐き出す。疲れたときに寄りかかれる存在が、漸く戻ってきた。
 聖砂国で行動した時間も数えれば離れている時間は長くはなかったけれど、眞魔国にいつもの格好で彼がいるということに大きな意味がある気がした。
 少しずつ喜びが沸き上がり、武骨な手に頬を預ける。
「……おかえり、コンラッド」
 もうずっと、この瞬間を待っていた。
 朝は『おはよう』と起こされ、空いた時間にはキャッチボールをして、夜は『おやすみ』と挨拶する。
 ほんの些細な日常の一コマが漸く取り戻せたのだ。
 ついさっきまで身体は怠くてしょうがなかったのに、少し寝たお陰か随分軽くなっている。声も完全にいつも通りで、掠れてもいない。
 もっと話がしたくて起きあがろうとしたら両肩を押さえて戻された。
「まだ寝ていてください」
「じゃあここにいてくれよ」
 頭はぼうっとしているが積もる話もあるし、もう少し一緒にいたい。
 遠足前夜のように子供みたいと笑われるだろうか。身構えたが杞憂に終わり、黙ったまま答えるように頭を撫でられる。
「ああでも、よくある話だと次の日に看病してた人が倒れるんだ。あんたに移したら困るよな」
「俺は平気ですよ」
「鍛えてるから?」
「ええ、それもあります。だけど俺に移してあなたの風邪が治るなら、その方がいいんです」
 歯の浮く台詞を平然と言ってのける男が憎らしい。
 彼が珍しく寝込んでも、それを知るのはいつも完治してからだった。もっと前に知れたとして見舞いを申し出ても、返事が来るのはいつだって治ったあとで。移してはならないから離されているとしても、力になれなくてもどかしく感じたことを覚えている。
 でも、これがおれの『日常』だった。
「さあ、もう一眠りしてください」
 おうとつのある大きな手に目隠しするように塞がれる。目蓋をそっとなぞる指が温かかった。

「……コンラッド?」
 目蓋をなぞるように触れられて、意識は覚醒させられた。まだ続いているのかと勘違いをしてしまったのかもしれない。
 顔にかかった髪を避ける指先は彼ではないとわかっていたのに、覚えのある仕草に口をついて出てしまったのだ。
 くすりと笑う声に目を開けてみれば、ブロンドの巻き毛を垂らして座っているツェリがいた。
 細くしなやかな指は手入れが行き届いているし、軽く伸ばされた爪は丁寧にやすりがかけられている。気配だって、本当は彼じゃないとわかっていた。あの手は何度も肩に触れ、その腕には数え切れないほど守られてきたから。
 間違う要素なんてなくて、勘違いするはずがなかった。カロリアでだって、彼の腕じゃないことだけはわかったのに。
 紅で彩られた口唇を僅かに上げ、穏やかに微笑む姿は、外見は似ても似つかないのに母と重なった。
 彼女が美しいだけの女性ではないと知っていたけれど、何故此処にいるのだろうと疑問が浮かぶ。
 それを声にする前に頬の輪郭をなぞられ、手のひらに包み込まれる。指先は男を誘惑するためだけのものではなく、三人の子供を抱きしめた腕に繋がっていた。
「あたくしの息子は陛下を置いて、一体何処へ行ってしまったのかしら」
 示しているのが二番目の息子であることは、定かだった。彼女にしてみれば不愛想な長男も素直じゃない三男も、爽やかな次男もかわいい子供なのだろう。
 責めも咎もせず幼い我が子を見つめて、あの子は本当にばかな子ねと微笑む母親の声だ。
 その温度にひどく安心してしまう。彼を責める言葉は今は聞きたくなかった。心の中で何故どうしてと責め続けているというのに、身勝手なもので他の誰かが云っているとかばってしまう。
 仕方がない。彼にも選ぶ権利はある。
 本心とは裏腹に、口をつくのは物わかりのいい子供を演じている者の台詞だった。
「けれど陛下」
 切実なまでの響きに彼女が泣いてしまうのではと心配になったが、一瞬で通り過ぎていく。
 ずれた布団を夢で会った男のように直しながら、穏やかに告げられるのはほんの刹那に与えられる安堵。
 子守唄を唄うように紡がれた言葉に、じわりと胸にあたたかい何かが染みる。
「どれだけ離れていても、コンラートの心は陛下のお傍にあるのよ」
 恋愛ばかりが目に入る女性ではなく、多くのものを見通せる人なのだろう。
 自覚はなかったが、一番欲していた言葉だったのかもしれない。
 息が詰まって、口元まで布団をかぶると小さな笑みが零れたのを聞き逃さなかった。
 手のひらに頭を撫でられながら、目の奥が熱くなってぎゅっと閉じた。様々な感情が、どろどろの液体となって溢れ出しそうだ。
 けれど呼吸が詰まるのも、胸が苦しいのも全部の熱のせいにしてしまおう。
 きっと、次は夢も見ずに眠れるだろう。


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