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手の鳴るほうへ


 うららかな春の陽射しが心地よい季節、人間の貴族の元へ嫁いだグレタが眞魔国へ還ってきていた。その知らせを受けて既にビーレフェルトを本拠地としていたヴォルフラムも、王都へ一時戻っている。
 数年間にすらりと伸びた背を真っ直ぐにして、蜂蜜色の短い髪を陽光に透かせる姿は見る者の目を捉えた。決まった相手がいなくなったフォンビーレフェルト卿に想いを寄せる女性が増えたという噂は、グレタの耳にも入ってきている。
 二人の父が婚約を破棄した日を、忘れはしない。
 ヴォルフラムもユーリも同じだけ幸せでいて欲しかったから、話を聞いた時にわかには信じられなかった。グレタが知る二人に、婚約者でないときはなかったせいかもしれない。
 だからヴォルフラムが哀しむ顔が見たくなくて、つい聞いてしまったのだ。
『どうしてヴォルフラムじゃだめなの?』
 今思えばひどい質問だった。太陽の色をした彼が傷つくのを恐れて、そして二人の父親のうち片方を失うことを恐れて、もう一人の父を傷つけてしまったのだから。
 ユーリは哀しげに笑みを作り、陽だまりのような手でグレタの頭を撫でた。
『ごめんな。違うんだ』
 まるで何かを悔いているような口振りで、自分に言い聞かせるような言い方はヴォルフラムやグレタの幸せよりも彼自身の幸せを選んだことに向けられていた。
 ヴォルフラムがユーリを想うように、コンラッドがユーリを想うように、ユーリもコンラッドを想っているのだとその時になって漸く理解したけれど。
『ヴォルフラムがだめなわけじゃない。おれが、コンラッドじゃないとだめだったんだよ』
 きっと長い間悩んでいたのだろう。自分の想いと関係する人たちの気持ちの狭間で、悩んだ末に導き出した結論なのかもしれない。
 優しい養父のことだから、グレタのことも視野に入れないはずがない。今でもグレタはヴォルフラムとユーリの娘のままで、彼等もそう扱ってくれていた。そうして解決策を導くまで、想像もつかないほど苦しんできたのかもしれない。
 悩みながら、傷つけてしまうことに傷つきながら、それでも彼が選んだのはコンラッドだったのだろう。
 自身の身勝手な一言で胸に痛みを刻ませてしまったことが、ひどく哀しかった。

 木陰に白い卓を出してヴォルフラムと二人でお茶をしていると、断りもなくムラタが空いた席に座った。髪と同じ蜂蜜色の眉が寄り、薄く皺が作られる。
 彼は闖入者を苦手としていたけれどグレタは特に気にせずに、遠くに控えていた侍女が新しい器に紅茶を淹れに来るのを眺めるだけに留めた。
 三段皿に並べられた焼き菓子を手に取り、ジャムを塗って食べる。甘さと香ばしさが口の中でほろりと溶けて、自然と笑顔になったところを見ていたヴォルフラムが緑色の瞳を細めて微笑んだ。
 癖毛をそっと梳いてくれる指は、少年ではなく一人の男の人。グレタのもう一人の父ということは今でも変わらないけれど、ユーリが殆ど変わっていないことに対して、ヴォルフラムは内面にまで落ち着きを得ていた。
 大賢者は傾けていたカップをソーサーに置き、黒い瞳をヴォルフラムに向けた。黒縁眼鏡をかけていた彼は、瞳に硝子片を入れているから見た目は裸眼と変わらない。
 父と同じ黒目黒髪だというのに、全く違う印象を持つ人。
 ムラタは人間であるグレタと同じ速度で歳を取っていて、彼とユーリの身体の中で流れる時間は確実に離れていた。
 少しずつヴォルフラムやユーリとは外見年齢が近付き、そして離れようとしている。ふとした瞬間に魔族と人間の寿命の差を突き付けられ寂しくなっても、二人の父の態度は今までと何も変わらない。それがグレタにとっては救いとなった。
 いつまでだって、どれだけ刻が経っても、グレタはおれの娘だよ。
 我慢できずに泣いてしまった夜、そう抱き締めてくれた腕を忘れたりしない。
 見逃し続けていた魔族と人間との違いを受け入れていくしかないと、もう理解してしまっているから。
 遠くで楽しげな声が聞こえる。発したのは離れた場所にいるユーリだった。枯れ草色の軍服に寄り添う姿は、誰よりも幸せそうにしている。
「結局のところ」
 同じきっかけで他の二人も見ていたのだろう。少しの沈黙のあと脈絡なく切り出した大賢者に注目すると、ずれた眼鏡を直す癖が目と目の間で中指を泳がせた。
「初めから、決まっていたことなのかも」
「何の話だ」
 不機嫌に眉を寄せたヴォルフが低い声を出す。何の話題かわかっているはずなのに尋ねるのは、単に続きを促したかっただけかもしれない。
「運命論は好きじゃないんだけどね、刷り込みって知ってるかい? 雛は最初に見たものを親として覚えるというけれど、渋谷がこの世界に来て初めて会ったのが、フォングランツとウェラー卿らしいじゃないか」
 地球の話はグレタが子供だった頃、お伽噺のように何度も聞かせてもらった。だけど、この国に初めて来たときのことを話してくれたことはない。知らないことを教えてもらうのは嬉しいし、ユーリについて他の誰かから語られるのは、どれだけ彼が愛されているのか見て取れる気がしてとても好きだった。
「そうとは限らないだろう」
「単なる世間話だよ。思いつきの仮説を言ってみたくなっただけ」
「だがユーリが求婚したのはこのぼくだ」
 埒が明かないということをお互いに気付いていながら、まるで議論を楽しむように続けた。対するヴォルフラムは眉間に皺を寄せている。かといって煩わしさを感じているわけでもないようで、背格好は変わっても素直にならないところは変わらない彼に、笑みが漏れてしまった。
「グレタ、どうして笑うんだ」
「ううん、何でもないの。ねえ、ユーリが初めて来たときのこと、もっと教えて?」
「僕がわかることなら。渋谷は水洗トイレからこっちに来たんだ」
「すいせんといれ?」
 未だにユーリや大賢者、それから時々コンラッドも自分にはわからない単語を使うことがある。異世界の言葉はアニシナが作った陛下語録でいくつか覚えたけれど、全てを理解したわけではない。
「厠のことだよ」
「厠からユーリ来たの? その話になるといつもはぐらかすから何かあったのかなって思ったのに、いつも通りだね」
「それはそれ。目撃されるのと自分で言うのとは違うだろ? 渋谷も愛娘には良いところ見せたいんだと思うよ。トイレから移動してきましたーなんて、格好つかないじゃないか」
 そんなところで格好つけなくても、ユーリは十分格好いいのに。口に出さなくても顔に出てしまっていたらしく、ムラタは可笑しそうに笑みを深める。
「だけどそれが渋谷だから。変なところで似てるんだよ、あの二人は」
 子供の前では格好良く在ろうとする。あの二人と彼が示すのは、コンラッドとユーリだ。きっとどんなに成長しても、どれだけ長く過ごしても、グレタはユーリの子供でしかないのだろう。そしてコンラッドにとっても、ユーリが名付け子であることは変わらない。
「こっちに来たばかりで何もわからなかった頃。こちらと地球を繋ぐ唯一のオアシスで、良いところばかり見せられてきた渋谷が、ウェラー卿に惚れないわけがなかったんだ」
 穏やかに微笑み、眩しげに遠くへ視線をやる。私も同じほうへ目を向けると、ちょうど割れた雲間から陽光が差し込んで二人に降り注いでいた。
 まるで天然の照明器具のそれは優しげに、恋人同士を照らし出している。
「言っておくが、ぼくは諦めたわけではないぞ」
 黙って聞いていたヴォルフラムが、カップを置いてムラタを真っ直ぐに見つめた。宣戦布告めいた言葉に、憂いはない。
「コンラートがまたユーリを哀しませれば、今度こそ容赦しない」
「ひゅー、フォンビーレフェルト卿は男前だねえ」
 口笛が吹けずに口で云っていたけれど、彼は嬉しそうに目を細めた。
「そのときは僕も応援するよ」
 大賢者もまた、ユーリの幸せを願っている。
 けれどきっと、みんながわかっているのだろう。コンラッドがもう二度と、あの頃のように大切な人を傷つけたりはしないのだと。

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