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優しさで編み上げて


 こつこつと靴底で石段を鳴らしながら、双黒の主は城の牢へ向かっていた。日光が届かず空気が湿気っているせいか、暖かい季節だというのに寒々しささえ感じる。
 壁を作るのは重ねられた石だ。石と石の隙間から僅かに光が入っているが、天井から吊されている行灯によって足元を照らされていた。
 ぼう、と橙色の光が灯されていても、ないよりはましという程度で薄暗いことには変わりない。

 ダルコから眞魔国へ還り、箱と鍵の問題を含めて漸く落ち着いた頃のことだ。
 好奇心や興味本意ではなく、思い詰めた表情をした主に打ち明けられた。
 長い間考えていたのだろう。ゲーゲンヒューバーから箱と鍵についての報告を受けても王の側近に報せず、反逆と見なされた男。フォンシュピッツヴェーグ卿シュトッフェルに会って、話がしたいと言い出した。
 冷たい牢はダルコの刑務所と違い、優雅な生活をしていた貴族には快適とは程遠い。そんな場所に王自ら出向くなど、前例がなかった。
 常識や価値観に捉われず、強い意思で行動する主を持てて、臣下として誇らしい。だが時折心配にもなる。いつか誰の目にも触れないまま、自らの力で遠くへ走り去ってしまうのではと。
「なぁ、コンラッド」
「はい」
 考え事をしていたのか、黙っていたユーリが振り返ることもせず、コンラッドの名を呼んだ。緊張しているのか、響きはらしくなく硬い。
「おれは眞魔国を、皆が幸せになれる国にしたいんだ」
 靴音が止む。石段は終わり、声は何かの決意を表していた。
 彼は無知な子供ではない。ただ少し、異世界から帰還されたばかりの頃は、戸惑いも多かっただけだろう。慣れてきた現在は、ずっと凛々しく、たくましい。
「存じ上げています」
 臣下の誰もが主の考えを推している。彼ならばどの国よりも素晴らしい王で在り続けられると、根拠のない確信があった。
 歩哨によって鉄の扉が開かれると、中央は道になっており、分厚い壁をくり抜いて造られたような部屋が並んでいる。どれもが鉄格子によって閉ざされていた。
 そのうちの一部屋に、シュトッフェルがいた。
 硬いベッドや粗末な食事は、彼の自尊心を大きく傷付けているだろう。ユーリがこの男に何を伝えたいのか、詳しくは尋ねていなかった。
 足を止め、格子から男を覗き込み目線を合わせる。
 近付きすぎないようにと止めようとしたら、その前に大丈夫だと首を横に振られた。
「あんたは眞魔国を、最高の国にしたいと思ってる?」
 唐突な問いは、投げかけられた本人だけでなく、周囲の者さえ戸惑いを示す。シュトッフェルはほんの少し間を置いて我に返ると、強い光を瞳に宿したまま頷いた。
「勿論です」
 この男が再び政治に関わろうとすれば、二十数年前に時代は逆戻りするだろう。だが国主は決して受け入れはしない。
 目の前に居る男の顔をじっと見つめたかと思うと、年齢相応の笑顔を浮かべた。
「そっか、良かった」
「ユーリ?」
 臣下が王を呼び捨てにするなど、本来ならば不敬罪にあたる。せめて他の者の前では敬称で呼んでいたが、何に安心したのかがわからず、口をついて出たのは彼の名だった。だが気にした様子もなく、フォンシュピッツヴェーグ卿へ向けて言葉を紡いだ。
「ツェリ様のかわりに国を動かしてくれて、ありがとう」
 彼の声は優しく、全てを包み込むような、静かな響き。
「あんたはあんたなりに、眞魔国をいい方向に導こうとしてくれてたんだよな」
 語尾は上がっていないから質問ではなかった。
「方法が正しかったのか、間違っていたのかは、今のおれにはわからない。だけど、グウェン達や、おれのやり方とも違うってことは確かなんだ」
 ユーリならばシュトッフェルの行い全てを否定して、望む手段を一から始めていく心持ちで進められた。或いは過去と現在を切り離して考えることも出来たはずだ。だが彼は、意図してそれを選ばない。
 時が経ち、戦争があったことを民が忘れたとしても、歴史そのものが消えるわけではない。なかったことにはならない。喪われた命は、二度と還ってこない。
「ずっと未来に、もしかしたら、あんたの遣り方が正しいって思うのかもしれない。だけど今の王様はおれだから、この方法で良くなるか、見守ってほしい。頑張るからさ」
「………陛下の、仰せのままに」
 膝を付きこうべを垂れ、恭しく絞り出されたそれは、他人の目があるから発せられたものではなかった。彼の罪は国の重鎮に、箱と鍵を狙う者が存在することを報せなかったこと。その一点のみだ。
「ありがとう」
 微笑んだまま身を翻し、出口へ向かう。
 グウェンダルやギュンターはシュトッフェルの政治に反対していたが、彼についていた者も多かった。でなければ優秀な長男があの男を失脚させるのに、あれほど苦労するはずがない。
 外へ出るとユーリは足を止め、肩を下ろして振り返った。ずっと気を張っていたのかもしれない。
 遠くの空が朱色に染まろうとしているのが、彼の頭越しに見える。時間にすればほんの一、二時間のはずだが、まだ少し陽が落ちるのは早いようだ。
「ずっと考えてた。おれにとっての幸せは、平和な世界で、皆が笑顔でいられることだ。けどさ、シュトッフェルにとっての幸せは戦争で国を広くしたり、豊かにすることかもしれない」
「陛下、それは……」
「きりがないってのもわかってるよ。コンラッドだって戦争で痛みや苦しみを何度も味わってきただろうし、多くの人が命を落として、沢山の人が辛い思いをしてきたのは事実だ。どこまでいってもおれは戦争なんて絶対にしたくない」
 考えを一息で云うと一旦区切り、だけど、と続けた。
「どんな失敗でも、後悔でも、過去を積み重ねた結果が今なんだから、それを否定したらいけないよな。だって前の戦争を否定したら、戦争で亡くなった人たちのことまで否定することになる。そんなのおれは嫌だ。大切なのは否定じゃなくて、繰り返さないことだろ」
 無意識のうち、名付け子に向けて手を伸ばしていた。肩に触れ、腕を伝い、その手を両手で包み込む。そうして、未だ見ぬ明日を想った。
 彼が望むのは、誰かの幸せを犠牲にして得る幸福ではなく、全てが笑っていられる世界だ。
「戦争がなくなったら、武器商人のファンファンだって仕事がなくなる。兵士の皆だって今まで訓練してきたのに、無駄になるかもしれない。おれの周りだけでも困る人が確実にいるんだ。それを見ずに平和が一番だなんて、上辺しか見てないのと同じだよな」
 苦笑しているけれど、諦めではない。
 いつか、魔王奥でのことを想い出す。あのままユーリの望み通りに廃止していれば、あの場にいた者は揃って路頭に迷うことになっていた。しかし彼はそれすら乗り越えてみせた。
「そういう人たちのために考えることも、おれの仕事のひとつだよな。だからシュトッフェルにも幸せになってほしい。あいつだって、眞魔国を良い方向に導こうとしたのかなって」
 人間の存在を否定するやり方が正しいとは想えない。身体に半分人間の血が流れているからではなく、血の種類で差別することがどれほど愚かであるかを、幼い頃に父との旅で目の当たりにしてきたからだ。
 だが、ユーリが『正義』だとしたならば、相反する立場にいたシュトッフェルもまた、別の『正義』だったのかもしれない。
「可笑しいかな、コンラッド」
「いいえ」
 反射的に即答してしまって、もう一度噛みしめるように王に賛同した。
「……いいえ。あなたのような王が戴けて、我ら眞魔国の民は幸せです」
 コンラッドも、一度は王に背く大罪を犯した。たとえそれが主のため、ひいては国のためといえども、罪に変わりはない。そんな男を赦したのは、眞魔国国王、ユーリ陛下だ。彼はこれからも、広い心で多くの人々を赦すのかもしれない。
 他でもない、ユーリが王として産まれてくれて、良かった。
「あなたなら成し遂げられる」
 なんの躊躇いもなく、確信していた。
 地球へ渡り、多くの魔族や人間と関わってきた。渋谷家との出会いが大きかったのは定かだが、カルロスやニッキー、ロドリゲス達と会えたことも重要だった。
 ユーリがまだ、次期魔王の魂でしかなかった頃。
 護るべき存在に命を繋がれ、渋谷有利として産まれてからは希望そのものとなった。絶望のただ中にいた男をすくい上げたのは、他でもないユーリだ。
「きっと、出来るよな」
「必ず、出来ますよ」
「なにそれ、すっげー自信。ルッテンベルクの獅子とまで呼ばれた英雄のお墨付きか」
「ギュンターやグウェン、勿論ヴォルフだって同じことを云いますよ」
「うん、そうだったら嬉しいな」
 空を見上げ、地平に融けようとする太陽に目を細めている。陽の赤が彼の頬を染め、美しいと想った。
 見目だけではなく、ユーリの心がそうなのだろう。
「まだまだ半人前で、不安になるときもあるけど、支えてくれる仲間がいるから立っていられる。誰か一人でも欠けたら駄目なんだよ」
「……ユーリ」
「云ってる意味、わかるよな?」
「ええ」
 満足そうな表情をすると、包み込んでいた温もりがするりと抜け出てしまう。追うように最後の指先を握ろうとして失敗した手が、ひどく寂しい。
 だがそれとは反対に、満ち足りた気分でもいた。彼の一言は、彼自身が考えるよりずっと簡単に、人を幸せにする。
 深く傷付けた過ちも、哀しませてしまった不甲斐なさも、まるごと抱き締めてしまえる強さが愛おしかった。
 誰もを幸せにするのは、とても難しいだろう。大きな役割を背負った主の支えになれるなんて、ほんの少し前まで想像出来なかった。
 傍にいるだけで支えになれるなど、大それたことだと思い付きもしなかった。
「ユーリ」
 自らが付けた名を呼んで、反芻する。
 何度も傷付けてきた。彼の幸福に繋がるのならばと独りで先走り、笑顔を奪ってきたけれど。漸く気付けた。
 もう二度と、哀しませることのないように、誓おう。
 彼のためと繰り返したのは、独善への言い訳でしかなかったから。
 全ては自分のために、主に誓う。
「何があっても、傍に居ます」
 そして生涯、その心を、身体を、全てを。
 護り続けよう。


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