[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
乾燥してきた風に、揺れる木々を見つめた。
日本はまだ暑く、紅葉もしていなかった。その差のせいか眞魔国は少し肌寒かったが、運動をするにはちょうど良い気温になっていた。
執務の休憩には名付け親とキャッチボールをして、かいた汗を拭きながら設置されたベンチに凭れる。
主観では途方もない時間彼と離れていた気がするせいか、ほんの些細な日常の一コマにすら大きな喜びを感じるようになっていた。
「アイスティー、如何ですか?」
運動後は水分補給をとメイドさんが持ってきてくれたグラスを、コンラッドに手渡される。
「うん、もらうよ」
今もそうだ。もう二度と戻らないと思えたすべてを漸く拾い上げたのだから、今度こそ落としたくはなかった。
恋心を自覚したのはいつのことだろう。
もうそれさえ曖昧で遠い昔のようにも感じるし、昨日のことにも思える。知らない間にそうなっていて、ふわふわと漂うだけの感情に名前を付ける必要すらなかったから、すんなりと受け入れてしまっていたけれど。もしかしたら、いつのまにか『おれ』の一部になってしまっていたのかもしれない。そのくらい自然に、彼はおれの中にいた。
優しすぎる時間と慈しむような日々は、かけがえないと知ってしまったから、壊れる可能性から遠ざかって。
ウェラー卿にとっての理想の名付け子であるために、ずっと。ずっと、そうしてきた。
此方に向けられる瞳に恋愛の色は欠片もなくて、グレタを見つめる温度とよく似ている。何度訂正しても一度は陛下と呼ぶのだって、その距離を保ちたいのだろう。
この名を呼ぶ時の声音も、掠める指先も、目が合うと細くなる眼差しも、全部が全部、求めている感情は含まれていなかった。
「不毛だね」
居室の中央に設けられた一本足の丸テーブルに向かい、村田は頬杖をついた。呆れも含んでいるのか半分笑ったままで、皿に盛りつけられたクッキーをつまんでいる。
さくり、と、小気味のいい音が聞こえた。
「何のことだよ」
胡乱な目を向けたが、意に介さず呑気に紅茶まで飲んでいる。ティーカップをソーサーに置くと、長年の癖でありもしない眼鏡を指で押し上げた。
「わかってるんだろう? フォンビーレフェルト卿にしておけば、きみが悩む必要なんてなくなるのに」
「……そんな簡単に切り替えられたら、おれだって苦労しねえよ」
感情の名前を明確にしてしまえば、周りを漂う煙のように掴めなかったものが、はっきりと形作られ居座ることになる。
それが、―――そう、怖かった。ずっと逃げていたのに、村田に指摘されて否定も出来なくて。
言葉にしてしまえばなんて呆気ない。
薄ぼんやりと存在していただけの情は、たった一言で目の前に突きつけられた。
コンラッドじゃなくヴォルフラムを好きになっていれば、誰も哀しまず、哀しませずにいられたのだ。制御不能な感情は、解決しない道筋を選んでしまう。
「難儀な性格だね、渋谷」
「お前、面白がってるだろ」
「まさか。幸せになって欲しいと思ってるよ。出来るだけ苦労少なくね」
無理だろ、と笑い飛ばす余裕さえなくて、黙ってティーカップの中身を転がした。
「仮にきみが告白したとして」
「そんなの、ありがとうとか云われるオチだろ」
想像しただけで落ち込んできた。
彼にとっておれは名付け子で、主で、王でしかないのだろう。だからどれだけ好きと伝えたところであの男は半分も理解しないまま、親への愛情表現に応えるよう手を伸ばす。
触れた指先の熱さも、頬の火照りも、何もかもが子供のものとして受け止められてしまう。
「じゃあ、誤解せずにいてくれたら?」
「……村田、何が云いたいんだよ」
どんな仮定を立てたとしても、結果は惨敗。誤解せずにいてくれたとしたら、彼はきっと叶えてくれようとするだろう。コンラッド自身の気持ちなんて、お構いなしに。
それが優しさなのか、義務感からかはわからない。だが、これだけははっきりしていたから、何も伝えないことを決めた。
伝えないことを、選んだ。
伝えられないんじゃない。伝えたくないんだ。
云えない訳じゃない。云いたくないんだ。
分かり切っていることを問うほど愚かでありたくない。彼の想いを蔑ろにするくらいなら、このままでいい。
いびつな関係になってしまうくらいなら、今のままがいい。
「今のままが幸せなんだよ。今が一番幸せなんだ」
友人の言を借りたら、彼の眉がひくりと震えた。
漸く取り戻したんだ。二度と失いたくない。失わないためには、現状維持が一番だ。
椅子に寄りかかり、目を閉じると微かに胸が軋む。
聞こえないふりをするのは容易い。気付かなかったことにすれば、いつか終わりへと近付くだろう。
「大切だから、失いたくないんだよ」
元々、この気持ちに名前を付けるつもりはなかった。付けてしまえば、きっと後戻りは出来なくなるから。消えない傷になり、一生残る痕になる。
「馬鹿だよ、本当に」
村田が吐き捨て、まるで自分が傷ついたかのような表情で笑った。
「きみも、ウェラー卿も。大馬鹿だ」
「どうしてコンラッドまで?」
「教えない」
悔しいから教えないよ、と繰り返し、大きなため息を吐いている。
「頑固なところがそっくり。流石親子だ」
「血は繋がってねぇよ」
「名付け親子、だろ」
言葉を紡ぐのをやめ、瞳を閉ざす。いつからか、彼は眼鏡からコンタクトに変えていた。そのせいで村田の表情が、フレームに隠れることなく見える。
憐れんでいるわけではないはずだ。ただ、嘆いているだけで。
「似た者親子だ」
村田が何かを呟いた。
けれどそれは窓の外で吹いた強い風と、揺れた木々のざわめきにかき消されてしまう。
もう聞き返す気にはなれず、空を見上げた。空は青く、白い雲が風に押されて走っている。
きっと、この先も、おれの気持ちは変わらない。親友の言葉を使うなら、頑固だから。
このままでいい。変わらないままがいい。
風の声を聞きながら、あと少しで到着する足音に意識を向ける。きっと振り返れば、爽やかな笑顔を向けてくれることだろう。
口にして失うくらいなら、これ以上なんていらなかった。
≪ 青い色の僕と君。 | | HOME | | グッドナイトベイビー ≫ |