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グッドナイトベイビー


  燃え盛る炎の中、片腕を失った男が首だけを動かして振り返る。敵はすぐ傍に来ていたから、また顔を正面に向け、いつも彼が持っているほうとは逆の手で剣を振るっていた。
耳元でぱちぱちと火花が爆ぜる音がして、逃げられる場所を目だけで探す。

―――俺は死なない。
 
 彼が、叫ぶ。
 ユーリを安心させるために笑うが、腕を斬られた時か、或いは敵を斬り伏せた際に散った血液が頬に張り付いていて、あまり意味を為していなかった。
 出来るなら、いや、出来るならと言わず、彼も一緒に逃げて欲しかった。盾にもならず、剣にもならず、ただ傍に居てくれるのなら、それだけで充分だったのだ。
 顔を見なくても表情がわかった。考えていることもわかった。それがこんなにも恨めしいと感じたのは、初めてだろう。彼はこの場に踏み止まれないと諦めているわけではない。だが同時に、生きては帰れまいと覚悟してしまっていた。
 だからあの男は笑ったのだろう。悔しかった。苦しかった。
 思い出せばその度に胸が張り裂けそうになり、叫び出したいのに声すら出せない夢。そう、これは夢だと気付いていた。もう何度も何度も見ている、夢だ。
 彼は既に眞魔国に帰っており、軍に属することもなく、何事も無かったかのように名付け親兼護衛に戻っていた。
 何事も無かったかのように、誰もがそう振舞っていた。
 
 橙と茜色の視界が唐突に暗転したかと思うと、遠くにカーキ色の背中が見えた。小さな光が差す方を向いていて、振り返りもせずに突き進んでいる。
 声をかけようとして、声が出ないことに気付いた。
 喉を押さえようとして、その手もなかった。
 呼び止める術がないのならと走り出そうとして、その足もないことに漸く気付く。
 どれだけ気持ちは前に進みたくても、彼は遠ざかるばかりだった。
 彼によって運ばれた魂と、両親によって造られた身体は、そのどちらもがなければ『渋谷有利』にはならなかっただろう。
 存在を否定されたことはない。
 家族には充分過ぎるほどの愛情を注がれているとわかっていた。眞魔国に来てからは、名付け親にも婚約者にも臣下にも、両の手には余りあるほどの想いを与えられていた。
 考えてみれば、初めてこの国に帰ったときに、仲間で最初に会ったのはコンラッドだった。あの時からなのか、それとももっと前からなのかはわからない。だが彼はこの世界で唯一の保護者で、絶対的守護者だった。
 そんな男に突き放され、自分でも驚くほど狼狽えた。いくら魂の頃に会っていたとはいえ、十六年のうちの、ほんの数ヶ月前に会ったばかりの男だ。しかも外見は自分と四つ程しか変わらない。
 会ったばかりの青年に対して保護者だと、普通は思えるのだろうか。絶対的信頼を、置けるのだろうか。―――わからない。だが、これだけは言えた。
 もしもあの時いなくなったのが他の誰かだったとしたら、あんなふうにはならなかっただろう。
 勿論無事は祈るし裏切られれば傷つきもする。しかし、そんな時にはすぐ傍にあの男がいる。ユーリにとって彼は単なる臣下でも護衛でもなく、何の疑問も躊躇もなく、その腕に収まれる人だった。
 今この夢の中で、彼はいない。何度も何度も、それこそ飽きるほどに見ているというのに、飽きることなく心臓が抉られる想いがした。肺が潰され、呼吸が困難になった。
 不意に後ろで声がする。だが身体のないユーリには振り返れなかった。その声の主は、振り返らなくてもわかる。さっき遠くへ行ったはずのあの男は、気付けばすぐ後ろにいた。
 口惜しい。手を伸ばせば届く距離にいるのに、手を伸ばすことは許されなかった。奇妙なことに身体は知らぬ間に元通りに在ったが、やはり石になったかのように動かない。

―――必ずしもあなたが最高の指導者というわけではない
―――さよなら

 凍ってしまうかと思った。彼の口で、そんなことを言われたくはなかった。だが何かをきっかけにして手が動き伸ばしたが、やはり届かなかった。こんなにも近くに見えるというのに、指先は何に触れることはなく空を掴む。
 そこでいつも目が覚める。
 夢の中と同様に、伸ばされた手が虚空を掻いていた。部屋はまだ暗く、カーテンの隙間から入り込むのは月光のみだ。
 隣で眠るヴォルフラムから離れて起き上がる。鼓動が強く打っていて、窓の外を見上げたら上弦の月が細く輝いていた。こんな夜は、もう眠れないだろう。
 ベッドを揺らさないように降りると、装飾のついた重く分厚い扉をそっと開けた。
 常夜灯でうっすらと照らされる廊下に数人の衛兵が並んでいる。
 ユーリの姿を認めると緊張した面持ちになり、姿勢を正した。そのうちのひとりが何かを言おうと口を開く前に、しぃ、と人差し指を口の前に立てる。
 途端に口を噤み、こちらの発言を待つ姿に笑いかけた。もう夜が明けていくだけの時間帯だ。少しでも声を出してしまえば、ぐぐぴぐぐぴといびきをかいているヴォルフラムは兎も角、他の者は起き出してしまうかもしれない。
 左右を見回してみても、警備兵の他には誰も居ない。誰かに隠す必要はなかったけれど、鉢合わせしたら少し気まずい。ただそれだけのことだ。
 ついてこようとする一人を手で制して、ウェラー卿の部屋へ向かうと告げれば安心した顔をした。独りで大丈夫だ、と背を向けたところで、兵士の一人が気付かないうちにいなくなっていたようだ。トイレだろうか。
 ぴかぴかに磨かれた床を、眞魔国では土足で歩く。もうそのことに申し訳なさを感じることはなかったけれど、足音を消すのは少し骨が折れた。
 ユーリの部屋と比べて装飾の少ないドアの前で止まり、部屋の主にだけ聞こえるよう小さくノッカーを鳴らす。いつもなら数秒置いて柔らかな声と爽やかな笑顔で出迎えてくれるのに、返事がなかった。いないのだろうか。
 寒くもないのに身震いする。
 気が引けつつもドアを開けてみたら、真っ暗だった。薄闇に慣れた目で見回してみても、数冊の雑誌がテーブルに並んでいるだけで、部屋の主は陰もない。月明かりがちょうどベッドに差していて、膨らみもないから眠っているわけでもないようだ。
 唐突に、あの夢を思い出す。
 重ねたいわけでもないのに重なって、背筋がぞくりと粟立った。本当はまだコンラッドは戻ってきていなくて、すべて自分が作り出した妄想だったのだろうか。そんなはずがない。でも今この部屋には誰もいない。
 彼が居れば他はどうでもいいとは、思ったことがなかった。だが、彼がいれば大丈夫だと、根拠のない自信があった。
 それを一度ぼろぼろに崩され、築き直したとしても、最初よりも脆くなってしまうのは仕方のないことかもしれない。
 足元を失う感覚。実際はそんなはずがないのに、あの夢のように前も後ろもわからなくなって、酷い不安に駆られた。
 敷居を踏んで、その感覚を足に伝える。大丈夫だ、おれは此処に居る。ドアに片手をついて、頬を撫でる。あの夢とは違う。夢じゃなく、現実だ。何も恐れることなんてない。
 それなのに、どうして彼はここにいないのだろう。
 安心したくて此処へ来たというのに、堂々巡りの思考は終わりを見せず、悪い考えばかりが頭に浮かんだ。
 似合わない軍服。読めない表情。知らない腕。掴まれなかった伸ばした手。
 あの日取り戻したはずの全てが、現実味を失っていく。
「コンラッド、」
 女々しいと、自分でも思う。だがどうしてもこの空気を動かしたかった。

 答えるように、名前を呼ばれなくても。背中越しに見つけた彼の気配に安堵した。確かめなくてもわかる。けれど顔を見たくて振り返ると名付け親と、その後ろに先ほどいなくなった衛兵が立っていた。彼はコンラッドの居場所を知っていたらしい。
「……陛下?」
「あぁ、ごめん。眠れなくてさ」
 眠れなくて保護者の部屋に行くなんて、小さな子供みたいだ。そうわかっていながら繰り返してしまうのは、きっと彼への甘えなのだろう。
「寒かったでしょう、どうぞ、中へ」
 兵士には下がっていいと命令し、少し伸びた髪を揺らして振り返る。明かりが灯されて、整頓された部屋がはっきり見えるようになった。
「こんな夜更けに訪ねてくれるなんて、夜這いみたいですね」
 悪戯っぽく笑っているけれど、彼は気付いているのだろう。悪夢を見てこうして起きてきたことを察していて、おれからその夢の内容を云わない限り、何も聞いてこない。
 いつもそうだった。云いたくなければ云わなくてもいい。だけどどうか独りで哀しまないでと、差し伸べられた腕に寄り掛かってばかりいる。縋るだけ縋っておいて何も云わないのは、卑怯なのかもしれない。だがそれを云ってしまえば彼を傷付けることになるだろう。きっとユーリよりも重く受け止めて、引きずり続けてしまうだろうから。
「そんなんじゃないって」
 瞳に散った銀がきらきらと瞬いていた。この瞳を曇らせたくはなくて、何度あの夢を見ても、きっと教えはしないだろう。
 この先どれだけ辛くても、これがおれの選んだ道だ。決して後悔はしない。
 首を横に振ると、出会い頭の彼の台詞を指摘した。
「陛下って呼ぶなよな」
「はい、ユーリ」
 愛おしい。だからこそ守りたい。
 今はまだ難しいけれど、いくつかの目標を胸に秘めて。
「眠れないから、此処に居させてよ」
「ええ、お好きなだけどうぞ」
 雑誌を集めると本棚に丁寧に仕舞い、ベッドに座るよう勧められた。きっと眠くなったときに、そのまま眠れるようにだろう。こんなところも抜け目が無い。
「ありがとう。なあ、何の雑誌読んでたんだ?」
「知りたいですか?」
 少し含みのある笑顔。纏わせる夜の雰囲気にこれが男の色気なのだろうかなどと思ってしまって、払うように首を横に振った。
 それがそのまま彼への答えと受け取ったようで、恋人というより親が子の成長を見守るような、慈愛に満ちた瞳を向けられる。
「それは残念」
 本当に『残念』だと思っているのかと問い質したくなる言い方だったが、こんな時は流してしまうに限った。照れではないはずだが視線があまりにも優しくて、ひどく居た堪れない。身を縮こまらせたら息だけで笑ったのがわかった。
「冗談です、すみません」
 すっと無駄のない動作で立ち上がると、押し込んだ雑誌の一冊を引っ張り出す。それは雑誌ではなく、スクラップのようだった。
 表紙を開いて一ページ目、二ページ目と捲っていくと段々手を動かすのが躊躇われるようになった。
「………これ」
「はい」
「おれの記事ばっかりなんだけど」
「あなたの記事を集めていますから」
 眞魔国日報の記事が多いが、殆どデマとネタだ。そんなんでもいいのか、それともネタと本物との区別もつかないのか。胡乱な目を向けてしまうのは仕方のないことだろう。
「いいんですよ。デマだろうがネタだろうが。ただ、あなたの名前を見られるのなら」
 また歯の浮く台詞を口にする。
 再び隣に座った彼の大きな手で、彼に触れているほうとは反対の肩を包まれ、呆れてため息を吐きそうになっていたのを呑み込んだ。
「本当のことですよ」
 耳元で低く囁く。大人はずるい。自分の一番武器になるものを知っているからだ。そんなこと聞いてないとは答えずに唇を噛んだ。
 呼吸をすると香水をつけない彼の匂いが鼻腔をくすぐる。触れ合っている面積が増えたせいで、とてもあたたかい。何となく彼の胸に頭を寄せてみたら、鼓動が聞こえた。
 唐突に眠気が襲ってきて、瞼を下ろしたらそのまま眠れそうな気がする。
「………ですね」
 微睡みの向こうで心地よい声が聞こえたが、今はもうどうでもいい。ゆっくりと閉じていく世界の中で、穏やかな眠りに就いた。この男はずるい。
どれだけ眠れそうにないときでも、こうしているだけでいとも容易く優しい夢に、人を誘うのだから。



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