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気がつけば感じる温かな視線。
振り返ればすぐ傍にある、柔らかな笑顔。
いつからだろう。引き寄せられる腕に熱を感じ、名を呼ばれることに喜びを覚えるようになったのは。
頭ひとつ分も違う身長差で、見上げているのは見紛うことなく男。穏やかな笑みを湛えているそいつは、名付け親兼ボディーガード、の男。
コンラッドにとってはただの被保護者ってのはよくわかっていたし、おれは女の子が好きなはずなのにどうして、と自問しても感情は人の無意識のうちに生まれるもので――― だから、自分自身じゃどうにもならなかった。
日本よりも涼しい眞魔国の朝、春もまだ遠い季節の風はすこし冷たい。まずはロードワークから、とひとっ走りしてきたおかげで火照る身体には心地良かった。
そよそよと葉を落とした枝が風に揺らされ、青い空には白い雲が流れていく。
日常の一コマに紛れるようにしたのは、もしかしたら逃げ道を作りたかったのかもしれない。
朝トレ後流れるようにして始まったキャッチボールを終え、はずしたグローブを、さりげなく受け取られて。それは殆ど勢いのようだった。視線が合って柔らかく細くなった目を見て、ああ、おれはこいつが好きなんだ、って、唐突に自覚した。
何も入っていなかったはずのコップに勢いよく水が注がれ、一気に溢れるかのように。自覚したばかりの想いは、同時に彼でいっぱいになった。
「コンラッド、好きだよ」
銀が散った薄茶の瞳が驚くように少し開かれて、一瞬のうちに元に戻る。
またたきをしていれば気付かないくらいの変化だったけど、ちゃんと伝えられたと安堵して。息を吐き出す前に、ヤツの答えに息を飲むことになった。
受け止めてもらえるとは考えてなかった。受け入れてくれるとも、思ってなかった。
相手は非の打ち所といったらギャグが猛烈に寒いくらいで、対するおれは頭も容姿も平均並みの魔王としてはへなちょこの高校生。しかも同性。
「―――光栄です、陛下」
お決まりの文句さえ、飲み込むしかなくなった。
伝わらなかったとも取れるその言葉は、しかし、彼が自らの立場を考えた上で出した、拒絶だ。
これまでと同じように接することが出来るように、おれをどう見ているのかを再認識させるための。
端から、実るなどとは考えていなかった。
だって男同士じゃん。
ヴォルフラムとの婚約話を阻むときの言葉が、胸に刺さる。しかも年の差は百歳近い。
どう考えたって見込みゼロ。なのに何を勘違いしたのか、おれはその相手に恋心を打ち明けてしまったのだ。
耳心地の良い声が、名前を呼ぶのが好きで。
曲げた肘がぶつかるかぶつからないかの距離に立つ、彼の気配が好きで。
想いを自覚して、一気に溢れそうになって、そのままの勢いで告げてしまったのだ。
異文化コミュニケーションの失敗による婚約のときもそうだったけど、衝動のままに行動を起こすこの性格をどうにかしたい。
おれはこの国の王さまで、コンラッドは護衛だから傍にいてくれるのだと。
あんなことをいうまでは名前を呼んでいたのに、唐突にまたおれの嫌がる呼び方に戻したのは、つまりはその一線を超えるつもりはないということなのだろう。
今まで通り一緒に居てくれるために、この言葉の意味に気付いていない振りをして。
ただの名付け親と、名付け子。
血盟城の中ですら、一人きりにはならないよう常にコンラッドが傍にいた。
それが当たり前じゃないのだと思い知ったのは、彼が敵国の軍服を着ていたときだ。
自分でも気付かないくらいの自我の奥底で、いつだっておれの味方でいてくれるんじゃないかという安心感があったのだろう。この手を離れたときに、安心感にすら胸を引き裂かれた。
いつか、離れてしまうんじゃないか。どうしようもない懸念は、一度生まれてしまえば消し去ることは容易くない。
考えてもみれば、コンラッドほどのモテ男がどんな女の人にも惚れられないわけがなくて。誰かをコンラッドが一生を共にしたいと願うほど好きになることだって、長い魔族の人生の中にはあるだろう。
そうなったとき、魔王の専属護衛なんて、きっとやってられない。
それなら、傍に居る限られた時間だけは、せめて誰よりも近しい人でいたい。
彼が望む、名付け子のままでいい。
友人で、被保護者以上の感情を悟らせないことは、おれにとって案外至難の技だった。
とろけるように柔らかな視線や、甘い声が向けられるたび、心臓が高鳴ってしまう。
それでもどうにかこうにか、うまく隠し続けてきた、はず、なのだが。
コンラッドが兵士に指導しているのを窓から見ていたら、おれを驚かせないように足音を立ててヨザックが近付いてきた。
「そんなにあつーい視線送ったら、嬉しくて隊長が気合いいれすぎてますよ、坊ちゃん?」
ぱちん、とウインクまでして見せるけど、コンラッドからこの渡り廊下は丁度背を向ける場所にある。いくらなんでも背中に目などついていないのだから、気付いていないだろう。というか。
「おれ、そんなにじっと見てた?」
「そりゃあもう、これでもかーってくらいに熱々のやつを」
そんなつもりはなかったけど。
たまたま通りかかったときに、窓の外から聞き慣れた声が聞こえたものだから、つい立ち止まって探してしまったのだ。いちばん奥にあるおれの部屋からは見えない場所だけど、ここからならよく見える。一階だったらもっとすぐに見つけられただろうし、声もよく聞こえただろう。
「別にそんなんじゃないよ。ほら、ここからだと遠くてよく見えないから、目を凝らしてただけで」
「やーねぇ、そんな風に誤魔化さなくても、女の勘を侮っちゃいけませんよ。グリ江にはぜーんぶお見通しなんだから」
グリ江ちゃんになって茶化されてしまった。もしかして、おれがコンラッドを―――そういう意味で好いているということに気付かれてしまっているのだろうか。
「そんなにわかりやすい?」
「いいえ、わかりやすくなんてありませんよ。確実に隊長は気付いていませんしね」
いつまで見ても飽きることのない彼の背中から目を離し、くるりと反対を向く。窓の桟を肘掛けのようにして、軽く寄りかかった。
吹き込んできたすこし冷たい風にオレンジの髪が揺れて、彼の目も楽しそうに細まる。ふわふわと髪が靡く感覚があるけど、寒くはない。
「ヴォルフには男同士だろってずっと言ってたのにさ」
そんなん理由にならないんだって、気付かされてしまった。
保護者と被保護者。王と臣下。今のままの関係で十分だと思っていたのは、最初だけだった。伝えた想いを受け止めてほしかったし、受け入れてほしくて、距離を縮めたくなる。出来ないのは、ヴォルフラムへの罪悪感とかじゃなくて。怖いだけ。
もう一度想いを伝えるなんてこと、おれにはもう出来ない。だって、一度はっきり断られてしまっているんだから。
恋愛の対象外の人間に言い寄られても、迷惑になるだけだ。
「大体おれが見てたからって、なんでコンラッドが喜ぶんだよ。かわいい女の子なら張り切っちゃうのもわかるけどさー」
「そりゃ坊ちゃんはそこいらの女よりずーっとお可愛らしいですから」
「あはは、魔族の美的感覚って、ほんとわかんねー」
この世界に来てから、もう随分経つ。地球とこっちとの感覚のズレにはもうそろそろ慣れてきたから、軽く流す術を手に入れた。かといって順応しきれるはずもないわけだ。
「でもそういうんじゃないんですよ、隊長にとって坊ちゃんは特別だから」
眩しいものを見つめるような目で見られても、ヨザックならなんとも思わない。
「コンラッドにとっての名付け子だろ。それ以上でも以下でもないから、おれもそうならないとな。あー、もー。やめやめっ、さっさと終わらせないとダメだよな」
「終わらせるって、何をです?」
ヨザックは何のことか本当にわからないようで、目をしばたたいている。
何をもなにも、今はひとつのことしか話してないじゃないか。
「もうとっくに振られてんの。コンラッドはおれのこと何とも思ってないんだよ」
実ることなどない。手の届く距離、目の届く範囲に彼がいる―――大シマロンの軍服を着ていたあのときより、ずっといいじゃないか。これ以上、何を望むというのか。
なのに、ヨザックの機嫌はみるみるうちに悪くなり、声がすこし低くなる。
「ウェラー卿が、はっきりそう言ったんですか」
「へ? ああ、いや、そうじゃないけど」
もう数ヶ月も前のことになるが、はやく忘れたいのに昨日のことのように思い出せる。
―――光栄です、陛下。
好きな人の顔が、声が、仕草が、纏う空気のすべてが、王の臣下のそれだった。
自覚して勢いのように告白したときは、ただ混乱して傷つく暇すらなかったのに、思い出すだけで胸をかきむしりたくなる。
ぶわ、と、突然強い風が吹き、押されるようにして一歩前に踏み出した。
「うわ」
「大丈夫ですか、坊ちゃん」
支えようとヨザックが腕を出すが、煽られただけだ。大したことはない。
「大丈夫だよ」
思えば、このことを口にしたのは初めてだ。
じわり、と氷が溶けるように。身体にその事実が染み入ってくる。
現実味を帯びなかったものが近付き、目の前にさらされる感覚。
ああ、そうだ。おれは失恋したんだ。
コンラッドが好きだった。今も、こんなに苦しくなるほどに、好きだ。
ごめん。
好きになって、ごめん。
「もう、いいんだ」
なにも考えたくない。
無邪気な子供を演じていれば傍にいられるのなら、それでいい。
自分に言い聞かせて、本音すら気付かないふりをしよう。
大丈夫だ。
声も眼差しも腕も、名付け子に、王にのみ差し出されるものならば。
このままでいい。
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