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ぱたぱたと軽やかな音が、廊下に響く。その足音にユーリが足を止め、彼の視線の先を辿るとグレタがいた。
波打つ赤茶の髪を揺らしながら、そのままの速度でユーリの腰に抱き付いている。愛おしげに顔を傾け、しっかりと少女を受け止めていた。
視線を下げた彼の睫毛でその頬に陰が作られる。角度のついた顔と僅かに見える穏やかな表情は、他の誰にも向けることのない、愛娘だけのものだ。
そんな姿を傍で見ていられるのは、この護衛という身分のお陰だとはわかっていながらも、ひどく羨ましくなってしまう。
グレタはユーリとヴォルフラムの大切な娘だ。それは何年経っても、何十年経っても変わらない一つなのだろう。
それがひどく羨ましくなってしまい、ついと指を伸ばす。ふくよかな頬を撫ぜたら驚いて顔を上げられてしまった。
黒曜石の瞳には軽い驚愕と、笑顔の仮面をつけたままの自身を映し出している。真っ直ぐな眼差しに努めて普段通りに笑顔を作った。
「驚かせてしまいましたか。ごみがついていたので」
「ああ、なんだ。ありがとう。先に云ってくれれば良かったのに」
「すみません」
朗らかに笑いながら、いいよと答えられる。
たとえばその姿を自分だけに見せてくれればいいのにとか。たとえばその優しい眼差しを自分にも向けてほしいとか。
幸運にも名付け親という立場にはなれたものの、ただの護衛。不敬でしかない感情が、胸の奥深くから漏れ出していた。溢れてくる感情は決してとどまることを知らず、この身体をじわりじわりと侵食していく。
日常に紛れたひとつひとつの些細な出来事が降り積もって、漸く目に見えただけなのかもしれない。
本当はもっと前から、―――もしかしたら彼が初めて眞魔国へ還ったあのときから、淡く想いは存在していたのかもしれない。
一度国を出たからこそ容易に十貴族や民の信頼は取り戻せないだろう。下手をすれば、王の信頼にも関わる。
元通りになったつもりでいて、何もかも以前と同じにはなれない。それは己の至らぬ部分でもあり、一人で突っ走った代償だ。
「ユーリ」
「なに? コンラッド」
「せっかくなので部屋に戻って、ゆっくり話をされたらどうですか。グレタも積もる話もあるだろう?」
後半はグレタに向けたものだ。無邪気に頷いて、垂らされたまま少し伸びた赤茶色の癖毛が踊る。
「うん!」
「とびきり美味しいお茶もお菓子も用意してありますよ」
「やったなグレタ。さっすがコンラッド、気が利くなぁ」
楽しげに笑い、仲良く手を繋いで部屋へ向かっていくその後ろ姿を、動くことすら出来ずに見つめていた。
グレタ帰還の報告と共に侍女には茶の用意を言いつけてある。あとは彼らと過ごす時間を許されているはずだった。それなのに、どうしてこんなにも足が進まない。
初めはユーリについて考えているだけで良かった。遠くから、その幸せを望むだけで満たされていた。特別なひとに仕えているだけで穏やかになれた。けれど次第にもの足りなくなり、もっと多くを欲っしてしまう今がある。
多くを与えられておきながら、なんて貪欲だろう。
たわいない親子のやりとりすら羨ましく感じてしまうなんて。
その手を握るのが俺だけであればいいのにと、そんな途方もない願いを持ってしまうだなんて。
恋人という極上の立場を得たというのに、両想いになったといいながら、片想いの頃に似た気分だ。
距離が近付いたから、彼と関わる全てがより鮮明に見えるようになったのだろうか。今までもずっとあの方の傍にいたというのに。
あとは優しいだけの日々を送るだけだとばかり思っていたせいだろう、その差は大きかった。
傍にいるほど欲しくなって、手に入れればすぐに次を求めてしまう。
自分がこんなにもないものねだりな性格だとは知らなかった。
疼きはいつまでも胸に残り、しくしくとふとした瞬間に痛み出す。
彼がいればそれでいい。だから。
どうかこの痛みよ、静まってくれ。
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