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雪が、降っていた。
何を想うこともなく、誰を求めることもなく。
ただ、雪が、降っていた。
いつもより静かな朝、柔らかなテノールに起こされて意識が浮上する。毛布を引き寄せて潜ろうとするが、大きな手に阻まれてしまった。重い瞼を持ち上げれば、想像通り名付け親がいる。
きっちりとカーキ色の軍服を纏って、爽やかな笑顔を浮かべ、顔にかかった髪の毛をそっと払ってくれた。
「おはよう、コンラッド」
「おはようございます、陛下」
「陛下って呼ぶなよ」
「すみません」
眉をへにょりと下げて謝っているわりに、嬉しそうなのは気のせいだろうか。
部屋は薄暗いけれど、暖かい。ぱちぱちと爆ぜる音がするから、暖炉の火は既に入れられているようだ。そのお陰で、ベッドからの脱出はすぐに成功した。
「ロードワークだろ? 今着替える」
「ああ、いえ、それが今日は出来そうにありません」
「なに? 雨でも降ってる?」
外の様子を見ようと見回すけれど、この部屋には窓がない。保護者の言葉の先を待ちながら、ジャージではなく学ランに着替えた。
勿体付けるように一息吐いて、頬を綻ばせる。
「雪がね、降っているんです」
外へ出ると、一面銀世界だった。
木々は白を纏い、太陽は鈍色の雲に覆われて成りを潜めていた。一つの足跡もなく広がる雪原に、降り止まない雪は尚も積もっていく。その歩みは時間の感覚さえ奪うほど、空中を漂う時間は長く、ふわふわと落ちていった。
冬景色はとても静かで、勝利が昔、雪は音を吸収するんだと言っていたのを思い出す。静かな朝はこのせいだったのかと納得する自分がいた。
寒いと感じる前に素早く外套を羽織らされて、前を閉めるように回された太い腕に触れた。息は白く濁って映り、空気に溶けながら昇っていく。
眞魔国で迎える何度目かの季節。
冷たい風から隠すように立つ、背後の保護者に軽く寄りかかる。こうすればもっと温かい。
「寒くありませんか?」
「大丈夫だよ、あんたのお陰でね」
笑ったのか、髪の毛を息が擽る。
優しい時間。こんな日々が、いつまでも続けばいいのにと考えてしまっている自分がひどく照れ臭くて、振り払うように言葉を探した。
「あんたと雪を見るのは、これで二回目だな」
答えもなく彼が息を呑んで、口元が旋毛に埋められる。どうして突然そうされたのかわからなかったが、すぐに思い出した。慌てて打ち消そうとしても遅かったようだ。
腕から抜け出して向かい合うと、銀の虹彩を曇らせて、気を遣わせまいと苦笑している。
初めて彼と雪を見たのはカロリア代表で、テンカブに出場したときだ。痛む頭。オレンジの軍服。見たことのない顔の名付け親。考えの読めない表情。押し殺された感情。
今では、あの時はああしなければならなかったのだとわかっている。おれのために、シマロンにいたのだということも。
「すみません。謝っても謝りきれないことくらい、わかっているんです」
「違うよ、コンラッド。あんたに謝って欲しいわけじゃない」
「それでも。あの日、あの時、あなたを傷付けたことは、変わりないんです。どれだけ時が過ぎても、例えあなたが、俺を赦すと仰っても」
きっと、この男はひた隠していただけで、長い間抱え込んでいたのだろう。全てが元通りになったはずの裏側で、独り苦しんでいた。
いつだったかヨザックが、コンラッドは不器用な男だと称したことがある。
当時は、何でもそつなくこなす爽やか青年という印象だったから、頷くことはなかったけれど、今ならその意味を履き違えることはない。
彼は、絶望的な状況を打破するだけの地位も権力も方法も、それを成し遂げてしまうだけの実力も持っていた。だからこそ、何も言わずに姿を消したのだろう。
もしかしたら、彼は器用すぎて不器用な人なのかもしれない。
あまりにも沢山のことが出来るかわりに、誰かに相談することも、頼ることも浮かばない。隊長と呼ばれていた頃のウェラー卿の武勇伝を聞くこともあるけれど、部下に指示を出すよりも自らが動く性質の男のようだった。
人好きのする笑顔の名付け親の本質は、変わらないのだろう。
「あんたに傷付けられもしたかもしれない。だけどどれだけ辛くても、それを否定したくない。確かに哀しかったし、動揺もした。辛かったし、苦しかった。だけどそれがあるから今のおれがいると思いたいんだ。あんたは生きて、此処にいるだろ。それで十分なんだ」
生きていてくれただけで良かった。再会したときの言葉に嘘はない。彼が生きていてくれるということで、救われたひとはいたはずだ。その一人を確実におれは知っている。
手のひらで目の前の頬を包み込むと、冷たくかさついている。他人のことばかり気遣うところも、変わっていなかった。
「すぐに変わるのは難しいかもしれないけど、これがおれの正直な気持ちだから。否定しないでくれ。後悔させないで欲しい」
暗く揺れているはしばみに、自身の姿が映っている。少し冷たい彼の大きな手が、触れている手に重なった。
暗い陰に潜めていた彼の瞳の星が煌めく。ああ、やっぱりこの男の瞳は好きだな、と妙な実感をした。言葉よりも、行動よりも、表情よりも語るから。離れている間中、この瞳を近くで見たかった。彼の腕を探していた。戻ってきた今は、二度と無くしたくない。
約束なんて堅いものじゃない。誓いのように、強いものじゃなくていい。昨日の延長が今日のように、今日の延長が明日であればいいと願うだけだ。
後悔したくないから後悔するなと告げるのは、エゴだろう。それでも伝えたかったから。薄茶に浮かぶ銀はきらきらと優しい輝きを増し、泣きそうだとさえ思える。
「はい」
だけど彼はおれが知る中の一番綺麗な顔で、笑った。
雪はまだちらついているけれど、そのうち晴れて太陽が出るだろう。
もしもずっと止まなくても、もっと別の場所でキャッチボールは出来るはずだ。それが出来るだけの部屋数も設備も広さも、ここには揃っている。
眞魔国の冬にはまだ慣れなくても、いずれ身体は適応していく。だって此処は、おれの国なのだから。
ゆっくりと足を踏み出し、歩みが遅くてもいい。きっと、いつか全てがわかる日が来るだろう。
彼が傍にいるのなら、きっとおれはいつまででも待てる。
軽く触れた手の温もりを腕に感じながら、城の中へと進んだ。
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