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その日はとても暑かった。
焦げ茶色の髪を汗で肌に貼り付かせ、白い雲が浮かぶ青空をコンラートは目を細めて仰いでいる。いよいよ次代魔王が産まれる喜ばしい日は、眞王の祝福を受けているようにさえ見えた。
彼が地を踏みしめている国は、生まれ育った世界よりずっと発展していて、安全であることを肌で感じてきているから不安はない。ただあるのは、待ち遠しいほどの瞬間への希望だ。
この腕に抱くことはないだろう。御尊顔を拝することもないだろう。名を呼ぶことさえ、彼が眞魔国へ帰還したときにも許されはしないだろう。だが今は、主が産まれるということに、すべてのものに感謝したい。
願いはひとつだけ。どうか家族の愛情を一身に受け、健やかに。
目を開ければそこは眞魔国の自室だ。腕の中には夢とは違い、成長した少年王の姿がある。当然だろう。降誕祭があるため今夜はユーリと二人きりで居られないからと、彼を抱き締めて眠ったのだから。
伸ばした腕の上に眠る主の、あどけない寝顔を見つめる。顔にかかる漆黒の髪を起こさないように指でよけ、穏やかな寝息に頬が緩んだ。昨晩は肌を重ねることはなかったけれど、彼を腕に抱いているだけで満ち足りた気持ちを与えてくれる。
ユーリ、と自らが付けた名を口の中で呟く。あの頃は、こうして名を呼ぶことなど許されはしないのだと思っていたし、まさか恋仲になる日が来ようとは予想していなかった。
命を懸けて守りたい主であり、守るべき双黒の魔王。仕えているだけで十分すぎるほどの幸福だというのに、想いを通じ合わせることが出来て。幸せすぎて時折怖くなる。
視線をずらすと、サイドテーブルに置かれた魔石が視界に入った。渡したときよりも青が強くなり、もう完全に彼の色に変わっている。
地球に着いたときはなにもかもに絶望し、すべてを憎んでいた。この魔石を受け取らなければジュリアは今も笑っていたのかもしれないと、後悔ばかりしていたけれど。あの時の別れがなければ今の幸福はなかったから。
後悔していないといえば嘘になるが、この瞬間を否定したくはない。
もぞもぞと腕にかかる彼の髪が動き、視線を戻せば僅かに身じろいで眠りから浮上しようとしている。
「ぅ、ん…」
「もう少し寝ていても大丈夫ですよ」
黒髪を撫でながら耳元で囁くが、ゆるゆると首を振ったユーリは微睡みのままで微笑んだ。
「おはよう、コンラッド」
「おはようございます、陛下」
「陛下じゃないだろ?」
こんな些細なやりとりでさえ、優しい温もりが胸に沁み透る。
「ハッピーバースデイ、ユーリ」
「ありがとう」
まだ夢見心地でいるのか、再び瞼を閉じてしまう。少年の色が濃かった顔立ちも少しずつ大人へと近付いて、誇らしくもあり時として寂しく感じることもある。
何よりも美しく、誰よりも優しく、この世のすべてにも敵わぬほど大切な主から向けられる言葉は、砂糖菓子よりも甘美だ。
瞳は隠され穏やかな息をたてているから、もう一度夢へといざなわれたのかもしれない。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
愛しさが募り、ありきたりな言葉しか言えないけれど。伝わらなくてもいい。聞こえていなくてもいい。ただ、自分が口にしたいだけだ。好きよりも、愛しているよりも、もっと深い想い。
少しだけ彼は動きを止め、次に闇色の大きな瞳が見えたときにはもうすっかり眠気が醒め、先ほどの甘さなど微塵もない。
眞魔国でも暑さが目立つ季節、寝汗をかいたユーリの身体が起き上がる。ベッドを下りるときに貸した手を握り、真っ直ぐに目を合わされた。
吸い込まれそうな夜色に自分の姿だけが映っている。
「こちらこそ、名前と、魂を運んでくれてありがとう」
言い終えると同時に微かに顔を赤らめ視線を逸らされてしまうのを見れば、どうして堪えることが出来ようか。
この年頃の少年は、素直になることに照れくささを感じることも多いだろう。だけど彼は驚くほどの純真さで心に入り込み、癒していく。
そんな恋人がひたすらに愛おしくて。今彼の身体が無性に手放しがたくて。
ぐいと引き寄せると、バランスを崩したひとが胸に飛び込んでくる。
「ぅわ、なに!?」
「もう少しだけこうしてもいいですか」
ああ俺は、世界一の果報者だ。
名を呼べること。抱き締められること。名を呼んでくれること。今という瞬間を、彼と共に過ごせること。すべてが、何にも代え難い贈り物になる。
溢れ出す感情を伝えたくて、伝えきれなくてもどかしい。
ありふれた言葉しか言えないけれど、どうか届いてほしい。
この世に生まれてきてくれて、本当にありがとう。
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