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きみが見る景色




 これは、夢だ。有利は心の中で、確信を呟いた。
 昨晩はコンラッドと身体を重ね、彼の腕の中で眠りに就いたから、紛れもない夢だった。

 広大な大地は、踏み締めていることを実感するほどの余裕もなく、ただひたすらに足を進めた。視界は霧のような何かにせばまれている。霧ではない―――これは、巻き上がった土煙だ。
 足下に見える赤黒い染みは血液だと理解するのに、時間は必要なかった。
 ぬめる手に握り、振るう剣はヒトの油で元の切れ味をなくしていく。その度に倒れ伏した同じ軍服を着る者から、或いは敵の死体から武器を奪った。
 切りつけた肉の感触。断った骨の堅さ。吹き出した血の温かさ。鉄錆のような匂い。至る所で聞こえる断末魔の叫びは、現実ではないとわかっていても、平和な日本で育ってきた有利には受け入れがたいものだった。
 既にどれだけの人間をこの手で殺めたのかはわからない。ただひたすらに黄色の軍服を着た兵士を、討たれる前に討つことしか考えられずに。それしか、許されずに。
 敵の大将の首を取り、魔族の勝利を確信して。酷く重くなった身体を地に横たえた。頬に当たる土が冷たくても、目の前に落ちてきたダークブラウンの髪を、払うことすら億劫な身は捩れもしないが、漸く気付けた。
 これはコンラッドの夢。彼が見てきた景色だと。以前村田の夢に入り込んでしまったときと状況は違うけれど、似たようなものだろう。
 冷たくざらつく大地に身を委ねて、胸元に石のようなものが食い込んでいることに気付いた。首から下がった石は弱々しく温もりを帯びている。
 目に血が入ったのか、紅く染まった視界に瞼を閉じれば地面にすら沈んでいける気がした。そこはとても穏やかな場所だ。どれだけ意志を強く保とうとも失った血までは戻ってこない。腹部の傷口からは内蔵がはみ出て、体温が奪われていくことに夢と知りつつその先へ身を委ねそうになる。
『必ず帰ってきて』
 脳裏を過ぎったのは聞き覚えのある女性の声。

 映像が途切れ、暗転する。次に開けたときにはすべての感情が枯れていた。
 フォンウィンコット卿スザナ・ジュリアの死を知らされた彼は、何もかもに絶望していた。
 哀しみや後悔が深く、それ故自己防衛本能が働いたかのように、全てが色褪せている。彼にはこんなにも無感動に世界が見えているのかと、有利は泣き出してしまいたい衝動に駆られた。ウェラー卿コンラートとなったこの身体は涙さえ殺してしまっていたし、仮に泣けたとしても堪えてしまっただろうけど。

 ずっと、綺麗なものだと思っていた。広大な大地。緑が茂る木々。さらさらと流れ、透き通る川の水。城下の人々には笑顔が絶えず精一杯生きて、少しずつ、本当に少しずつではあるが人間と魔族との隔たりも解消されてきている。陰謀や騙し合いがないとは思っていなかったし、実際に有利が騙されたりもした。この先誰かを憎むこともあるかもしれない。けれどそれはすべて過去であり、そして未来の話でもあった。
 彼が見ている世界はどうだろう。
 もしかしたら自分が見ていたのは、この世界のほんの一部だったのではないだろうか。一部しか、見えていなかったのではないか。そんな気にさせられてしまう夢だった。
 彼等にとって、たった一人の女性の死によってもたらされた変化は、とても大きかったのだろうと。


「ただの夢だよ」
 血盟城の最奥、大きな城の中でも格段に広い一室―――魔王の私室にて、茶会は開かれていた。クリーム色の壁とワインレッドの絨毯。天井から下げられた灯りは、夜でも皓々と部屋を照らしている。
 コンラッドが新しい紅茶を淹れに席を外した際、村田に話したら当たり前じゃないかと言わんばかりに頷かれた。
 単なる夢であることはわかっていたが、コンラッドが経験してきた、凄惨なまでの記憶であることも事実だろう。彼に確認したわけではないけれど、不思議なことに確信していた。
「それできみは、どうしたいっていうんだい?」
 訊ねられてしまうと、なんと表現すればいいのかわからない。ただ、コンラッドの視点からみた世界は、あまりにも有利自身が見ていた世界とは違っていたということ。それが言葉に出来ない感情を呼び起こさせた。
「どうしたいとかじゃねーんだけどさ。なんていうか、その。夢のコンラッドは、景色がすげー暗くて、寂しく見えてたんだ。なのにそれを寂しいとすら感じてない。今もそうなのかなーとか」
 思って、と口の中で呟いて、手元にあったティーカップの冷たくなった中身を一気に飲み干した。元々量は入っていなかったけれど、それでも食道を通っていく冷たい液体が幾分冷静さを取り戻させてくれる。
「気になるんだ?」
「まぁ、少しだけな」
 眼鏡越しの探るような友人の目が居心地悪くて、視線をさまよわせる。
 村田は座っている椅子の背もたれに背中を預けて、軽くため息を吐いた。
「僕からは見るときみたちは同じ場所に立ってるのに、正反対の感じ方をしているね」
「どういう意味だ?」
「全てがというわけじゃないけど」
 人差し指でずれてもいない眼鏡を直して、曖昧に微笑んでいる。真意はわからないままだが、聞くための姿勢を崩さなければ説明をくれるだろうと目を逸らさないことにした。どうしてか不安めいたざわめきが逃げ腰にさせるから、抑えるために胸元に下がる魔石を握りしめる。微かに伝わる冷たさが有利を安心させた。
「きみが思う世界が鮮やかだとしたなら、ウェラー卿が思う世界は褪せているのかもしれないってことさ」
 想像していたよりもずっと単純で、するりと飲み込んでしまえたのは彼の夢を通じて抱いたものととてもよく似ていたからだろうか。無意識のうちに明確な言葉にしてしまうことを恐れていたのかもしれない。
「だけどね渋谷」
 一息吐いて続けようとする村田を遮り、部屋のドアが開いた。ポットを乗せたシルバーの盆を持ったコンラッドは、何をしていても様になっている。
 ポットだけをテーブルに置くと隣に膝を折り、椅子に座ったままの有利の顔に手を伸ばした。何かあったのだろうかと目で追っていると心配そうに眉を寄せて、両の手で顎を包む。
「何かありましたか」
 親指で目尻を擦られた。
「何もないよ。あんた、泣きそうな顔してる」
「それは、あなたが……」
「言っておくけどウェラー卿、渋谷がそんな表情してるのは、僕じゃなくきみのせいだからね」
 新しく紅茶を注いだカップを傾け、村田が呆れている。
「昨日だっけ? きみが見た夢を渋谷も見てるんだ。いつまでもそうして悩んでないで、さっさと二人で解決してしまいなよ」
 一緒に寝ていた理由は聞かないであげるからと言い残すと、村田は部屋を出て行ってしまった。地球の一般家庭で育ってきた有利には広すぎるほどの一部屋に、二人きり。
 強引に解決の場を作って退散してしまった大賢者だが、沈黙が支配しようとして先に口を開けたのはコンラッドだった。
「俺のせい、というのはどういうことですか。ユーリ、どんな夢を見ましたか」
 問い詰めたいのを必死に抑えている、穏やかな声。胸が締め付けられ、魔石を握っていた手を、頬を包むコンラッドの手に重ねる。同じ男だというのに悔しくなるほど自分の手より大きなそれは節くれ立ち、傷跡がケロイドとして残っているせいでなめらかではない。
 まっすぐに見つめてくる薄茶の瞳には、銀の虹彩が悲しく輝いていた。いつもは木漏れ日のようなあたたかみを湛えている色が、今日は暗い影を落としている。
「あんたのせいとかじゃないよ。夢っていうのは多分、多分だけど、あんたの過去なんだと思う。昔の夢、見なかったか?」
「昔の夢……まさか」
 思い出そうとして、すぐに思い至ったらしい。眉間に皺を寄せ、泣き出しそうに瞳が揺らめく。
「それと同じのを、おれも見たんだ。戦争だよな、あれ。あの後のあんたって、こう言ったら悪いんだけど、つまらなそうだって思えて。今もそう見えてんの? コンラッドは今、幸せ?」
 流れるように口にしてしまったのは、ずっと不安だったからだ。あのままシマロンについていれば、王かそれに近い地位につけただろう。こんなただの野球小僧の護衛などではなく、もっと高い地位に。
 彼が地位を欲しているとは思えないけれど、自由を望んでいるかもしれない。
 彼の瞳が驚きを伝え、次の感情を目にする前に腕に包み込まれた。優しい温もりと、彼の髪が頬を擽る。
「幸せですよ。これ以上ないほど、幸せです」
 有利が椅子に座っているのに対し、コンラッドは床からの膝立ちだから頭の位置は有利よりも低い。回された大きな手が想いを伝えるように背中を泳いだ。
「だから、そんな夢は忘れてください」
 懇願のようだった。苦しげな顔をしていることなんて、見なくてもわかる。そんな表情をさせたかったわけではないのだと、肩に押しつけられた彼の髪に指を差し込んだ。
「違うんだよコンラッド。あんたとおれの受け取り方が違うのなら、その一部でも知れて良かった。忘れたいなんて思っちゃいないんだ」
 隣に立ち、同じ世界を見ているというのに。感じ方は人それぞれだ。だが人というのは、自分とは正反対に受け取る者の考え方は中々想像に容易くない。
「辛い気持ちを沢山味わって、あんたは今生きていて良かったと思えてる?」
 抱きしめていた腕が離れ、はしばみ色の瞳が有利を射抜く。
「幸せです。生きて、あなたの傍に居られることが何よりも。確かに辛い想いはしましたが、乗り越えたからこそ今の俺がいる。過去を忘れることは出来ないけれど、あなたがいなければ今の俺はいません」
 断言を素直に信じていいのだろうかなんて、愚問だろう。
「そっか、良かった。おれも幸せだよ、コンラッドが居てくれて」
 彼の前髪を掻き上げ額にキスをすると、瞳の銀が甘さを含んで綻んだ。膝立ちの姿勢から有利の前に立ち上がり、悪戯っぽく笑う。
「口唇にはしてくれないんですか?」
「う…」
 重くなった空気を晴らす為に茶化すコンラッドの腕を叩く。有利が自分から仕掛けるのが苦手だと理解しているのに、理解しているからこその発言だから悔しくなる。いつだって、どんなときだってこの男には適わないと思い知らされるのだ。
 だからたまにはこの過保護な恋人を驚かせてやりたくて、彼の胸ぐらを掴んで引き寄せ、耳元で囁く。
「夜になったら、考えてやるよ」

 世界は有利が思うより鮮やかではないけれど、コンラッドが思うほど褪せてもいなかった。ただ、それだけのことなのかもしれない。
 それでいいと思えるのは、離れていれば少しずつ歩み寄っていけるということが嬉しいからだ。
 
 再び強く抱き締められた温もりに頬を寄せて、たとえば百年後、二百年後の未来も彼と共に生きていられたら。
 それはどんなに幸福なことなんだろう。


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