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6


 夜の帳も下りきった時間、カーテンの隙間から見えた煌めきに誘われ、ユーリはベランダに出た。空には星が満ちている。濃紺に転がるまたたきは、音もなく燃え続けていた。
 つい先日まで地球に居たせいもあるのだろう。眞魔国の気候は乾燥していて、埼玉より気温も低い。
 日も短くなってきているし、夜になれば肌寒ささえ感じた。だがその分星空が、息を飲むほど美しい。
 柵に両手をついて、天然のプラネタリウムを堪能する。普段は星に強い興味を引かれることはないが、眞魔国に還るとつい見上げてしまっていた。第二のふるさとに還ってきたと実感する瞬間の、ひとつ。
 いつか教えて貰った星座を探しながら、季節が違うことを思い出した。
「……ユーリ?」
 唐突にかけられた柔らかい声に振り向くと、ウェラー卿が僅かに眉を顰めていた。窓を開け放していたから、外気が部屋へ流れ込んだのだろう。どうしてそんなところにいるんですか、と、瞳が訴えている。小さめのタオルケットを持っていた。
「ごめん、寒かったかな」
 窓を閉めようと手を伸ばしたが、首を横に振られる。
「俺はいいんです。あなたが寒いでしょう」
 もう少しだけ星を眺めていたいと、ユーリが告げる前にタオルケットを羽織らされた。まだ息が白く見えるほどではない。だが、後頭部に保護者の息を感じ、擽ったかった。
 身をよじろうとしたら、抑えるようにコンラッドの手が前に回り、腹の前で組まれる。
 後ろから軽く抱き締められるような体勢だ。文句を云おうと半分だけ振り返るが、先手を打たれて飲み込むことになった。
「こうすれば、俺も暖かい」
 この男は、女の子にするような扱いを自然に与えた。性別を勘違いしているわけでもないのに、まるで宝物に触れるように接されると時折背中が痒くなる。
 そんな彼の態度に慣れたのはいつからだろう。想い出せなくなるほど、傍にいることが当たり前になったからかもしれない。
 毛布越しの温もりに寄り掛かると、つむじにかかった吐息が擽ったい。それでも不快ではないのが不思議だった。
「独りで、何をしていたんですか」
 少し拗ねた響きに苦笑してしまう。窓を開けたままでいたことよりも、外に出ていたことよりも、彼を誘わなかったことにいじけているらしい。ただ何となくの行動にさえ、ウェラー卿の中では大きな意味を持つのだろう。
 空を見ていただけだよと答えようとして、再び見上げたその先。
「あ」
 ほんの一瞬のことだった。見逃してしまいそうな、ともすれば気付かないほどの、些細な変化。静止している天体の中でたったひとつだけの、小さな動き。
「はい?」
「星、流れ星。見た?」
 眉を下げ、残念そうに首を横に振っている。
「いいえ。何かあるんですか?」
「流れてる間に三回願い事を唱えると叶うんだってさ」
「それは……難しそうですね」
 無理じゃないのかと思っているはずなのに、言い切ってしまわないのが、彼が夜の帝王である所以だろうか。
 身体を抱き締める力を強め、広がる無数の輝きに顔を向けていた。彼は今、何を願っているのだろう。
「あなたなら、何を願いますか?」
 意味もなく声を潜め、吐息が耳にあたるほど口を近付けられる。彼の柔らかい髪があたってこそばゆい。
 同じことを考えていたのか、と可笑しくなる。笑い出しそうになりながら、首を横に振った。
「教えない。願い事は云うと叶わなくなるんだ」
 おれは欲張りだから、欲しいものは沢山ある。眞魔国の平和な日常や、皆が笑っていられますようにとか。小さなことから大きなことまで、指折り数えてしまうほど。
 けれどそれは王である自分自身が叶えなければならないことだ。
「流れ星に願い事を三回唱えるなんて、どんなに頑張っても無理だろ。だけどそんなことが出来るなら、きっと自力で叶えられるんじゃないかな。そういう自己暗示だって」
 息だけで彼が笑った。
 馬鹿にしているわけではなく、同意も込められている。言葉になどしなくても、顔を見なくてもわかった。
「まあおれは、暗示かかったことないんだけどな」
「そうなんですか?」
「前にクラスの女子が催眠術とかにハマってたけど、かからなかったし」
「それは……」
 過保護な保護者の顔で眉を下げたのがわかり、大丈夫だ、と笑い飛ばした。
 危険なことをしないでと言いたいのだろうが、大したことじゃない。催眠術にもかかっていないし、今は変わらず眞魔国にいる。それだけで十分すぎるほどの証明となるだろう。
「心配しすぎだよ」
「……今くらいは、心配したいんです」
 もうすぐ、離れてしまうから。
 お互いに、その話題を避けていた節があった。ここ数週間、現実を忘れたように振る舞い、何て事ない時間の延長を続けていけるかのような態度をとり続けていた。
 地球に戻ってからも、眞魔国に還ってきてからも。
 だが気付けば、コンラッドが発つ日は、明日まで迫っている。
 最期になるだろう。彼が居てくれる夜は、もう二度と訪れない。何度約束を交わし、繋ぎ止めるように誓い合っても、所詮かりそめでしかないことなどわかりきっていた。
「おれが立派な王さまになれば、あんたを心配させずに済むかな」
「ユーリは最初から立派な王ですよ」
「コンラッドはいつもそう言うからなー」
「本当のことだから」
 こうして笑い合う日常が、ずっと続いていくものだと思っていた。続いて欲しかった。だがもう、それは叶わぬ夢だ。
「寂しいと思ってくれますか?」
「は? 当たり前だろ。皆寂しがるに決まってる」
「嬉しいですね」
 笑っている。後から抱き締められた状態では顔を見られなかったが、関係なかった。一番近い人だから、どんな顔をしているのか見なくてもわかる。
 どうしてそんな顔をするのか尋ねれば、彼は答えてくれるのだろうか。
「なあコンラッド」
「ん?」
「あんたの帰る場所は何処だ?」
「ユーリの元です」
 眞魔国じゃないのか、と吹き出してしまいそうになった。けれどウェラー卿の声は真剣そのものだった事が、ひどく嬉しい。
「うん。じゃあ必ず帰ってこい」
 今の国交では、もう二度と彼は帰ってこられないだろう。どれだけ足掻いても、問題を先延ばしにするだけだ。
 だけど、未来は誰にもわからない。もしかしたら眞王にさえ、わからないものかもしれない。
 自分たちの手で選び、未来はこれから作り上げていくのだから。
 彼が帰って来られるように、皆で頑張れば、報われる日が来るのかもしれない。
「さてとー、そろそろ寝るか」
 明朝にはコンラッドの元に迎えが来る。寝坊しないためにもベッドに入った。
 カーテンの隙間から入る月明かりで、部屋は薄闇に満たされている。今日はヴォルフラムはいないから、珍しいほどの静寂が流れた。
 保護者はベッドの端に座り、小さな子供をあやすように髪を撫でられる。どうしてこんなにも、この男は人を安心させることに長けているのだろう。
 忘れてはならないはずなのに、明日のことさえずっと未来のことと勘違いさせて、気を抜かせていく。
 急速に襲い来る眠気に、布団を引き寄せる。今にも眠りに落ちそうな時だった。
 慣れた手つきで太い指が前髪を避け、閉じたままでも目を手で覆われたことに気付く。
 空気が揺れ、彼の口が開いたことがわかった。
 きっと、他に音があったなら聞こえなかっただろう。
「忘れてください」
 まどろみの中耳元で囁かれるのは、悲しいほど切ない懇願だった。
「出会ったあの時から、すべてを」
 忘れたいなんて思わない。忘れてしまいたくはない。けれど瞼が重すぎて、もう開ける気にはならなれなかった。
「…………に」
 最後の呟きは聞き取れないまま、意識を手放した。
 明日聞けばいい。明日伝えればいい。
 どれだけ待ってもその瞬間は訪れないことを、ユーリは知らなかった。










―――あなたが選んだ幸福ならば、俺は、どんな運命でも受け入れよう。

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