[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
注いでもらったカップの中身を飲み干すと、温まった息を吐き出した。適度な温度の紅茶は舌を火傷させることもなく、やさしく胃に落ちていく。
ソーサーに置くとポットを持ち上げたコンラッドに、おかわりは要るか目で尋ねられる。頷いたら白い湯気とともに琥珀色の液体が満たされた。云わなくても加えられる砂糖一杯は、ティースプーンで混ぜられて途端に溶けてしまう。
添えられている焼き菓子にぴったりのそれは、仄かに苺の香りがしていた。
椅子を勧めなければ、いつも傍らに控えている男に視線をやる。
「コンラッドも座れって」
何かを考えて眉を下げるが、すぐに爽やかに微笑んで向かいに座った。
「では、お言葉に甘えて」
今回村田は一緒に移動しなかったことと、ヴォルフラムは領地へ還っていることが重なって、昼間から彼とおれの二人だけだ。
執務室でこなさなければならない仕事は一段落つき、あとは午後に会談を残すのみ。会談の相手はサラレギーだ。
小シマロンと聖砂国の国交が回復して、十数年が経つ。眞魔国と緊張関係であることは変わりないが、かなり緩和されていた。懸念されていた問題も起きていない。
アラゾンを喪ったイェルシーの状態を見て、彼がそれどころではなくなったのかもしれない。もっと別の理由かもしれない。
詳しいことは想像もつかないが、兄弟は一緒にいるべきだと別れ際の言葉に偽りはなかった。たとえば、目の前の名付け親と天使みたいな容姿の婚約者や、可愛いもの好きな摂政のように。
彼らはそれぞれ不器用に兄弟を愛していて、違った形で大切にしている。
小シマロンから書簡が届いたのは、ほんの数週間前だ。
一つ年上の王と過ごした日々で、いい思い出はひとつもない。騙され続け、殺されかけたことすらあった。
なのに憎めないのは、地下道で夢を見てしまったせいだろうか。それとも、自分が甘いだけだろうか。
「ユーリ、どうかしましたか?」
「ああ、いや、何でもない」
覗き込んできた薄茶の瞳が、僅かに揺らいでいる。方針を決めてからこっちは特に心配症で、軽い擦り傷にも眉をしかめていた。
これまでにも散々悩んできたことだ。サラのことを今は考える必要はない。払うようにクッキーディッシュに手を伸ばし、一旦止める。彼の弟がいるときには二人ですぐに食べきっていたが、まだ半分残っていた。
「コンラッド、甘いもの嫌い?」
「いいえ、そんなことはありませんよ」
傷があるほうの眉を軽く上げ、何故と視線を投げかけられた。レープクーヘンが並ぶ皿は先ほどから自分が食べるばかりで、彼は全く手をつけていない。
考えてみたら、ヴォルフラムやグレタがいるときも、にこにこと眺めているだけだった。
「さっきから全然食べてないじゃんか」
気にしないでくださいと微笑んでいるが、云いたいのはそういうことじゃなかった。
たとえば美味しいものを食べたとき、大切な人と分け合いたいと思う。それはグレタだったり、ヴォルフラムだったり、或いはコンラッドだったり。
場合によって様々ではあるが、一人で食べるより二人で食べたほうが楽しいことは明らかだ。
「ユーリが美味しそうに食べてくれるほうが、俺は嬉しいんですよ」
だからどうぞお気にせずと、名付け親は、そんなことを言う。
けれど、言いたいのはそういうことではなかった。爽やかな笑みを絶やさない男の目を、まっすぐに見つめる。薄茶の瞳は穏やかな色を浮かべ、今という一瞬が何よりの幸せだと、そんな心の内を物語っていた。
「コンラッド、おれだって同じ気持ちだよ」
大切な人が笑顔でいてくれれば嬉しいし、その輪に混ざりたいと願う。けれど彼は、輪の外から眺めていられるだけで十分だと言うのだ。それは共に在りたいと望む人にとって、どれだけの裏切りとなるのだろう。
「あんたと一緒に食べて、同じ感想を持ったり、違った意見を言い合って。そうしたいって言ってるんだ」
口に出さなくても何を考えているのか、目の前の名付け親ならば汲み取ってくれると信じていた時期があった。一番近い人のことなら、何でもわかると。
けれど彼はまだ、何かを隠している。一人きりで抱え込んでいた。その内容がわからないことが、今はひどくもどかしい。
「……ユーリ」
だが、彼はあの時確かに答えたのだ。許しなく離れたりせず、もう二度と黙って消えたりなどしないと。
その約束は今日まで守られ続けている。
向かいから伸ばされた手が、ユーリの頬に触れる。最初から彼のものだったほうの腕だ。その温もりを黙って受け入れながら、視線は決して逸らさなかった。
「きっと俺は、果報者ですね」
「何だよ、それ」
「そう言ってくださるだけで、十分すぎるんです。俺には勿体ないくらいだ」
瞳はふわりと綻び、春の陽射しのような温もりを宿す。問いつめようと息を吸い込んだが、覗き込んできた彼の目には迷いがない。
「大丈夫、ユーリ。あなたを悲しませるような、あんな想いは二度とさせないから」
二度となんて、無理だろう。迫る未来を想像して笑い出しそうになったが、彼は約束したのだ。必ずおれの元に還ってくると。
ならば、それ以上は何も求めない。誰一人欠けることのない日々が戻ってくるなら、どれだけ辛くても前を向いていられる。
「信じてる」
わざわざ口に出さなくても、きっと彼には頷くだけで届いただろう。ただ、自分がそうしたかっただけだ。
「ありがとう、ユーリ」
引っ込められた手は菓子をつまみ、口へと運んでいる。
「甘さ控えめだよな」
「そうなんですか?」
「うん。おふくろが作ると、もっと甘いんだ。どっちも好きだけど」
フリルのエプロンをつけた母の姿を思い浮かべる。随分長い期間、彼女の手料理を食べていなかった。
「ツェリ様はそういうの、なかった?」
「手料理ですか?」
少し考えたふりをして、首を横に振る。
セクシークイーンが台所に立つ姿を想像出来なかった。家事にあたる仕事はすべて使用人に割り振られているし、職人や料理人がいる。厨房にわざわざ王が立ち寄ることなどないのだろう。
「日本じゃ肉じゃがはおふくろの味っていうんだ」
「人肉を使ってるんですか?」
「そういう意味じゃねえって、物騒な考えだなー。多分家庭によって少しずつ味付けが変わるからだろうな」
「なるほど、そういうことですか」
銀の星がきらきらと輝きを増し、穏やかに微笑んだ。爽やかだが、その奥には包み込む温もりを秘めていることを知っている。
彼はヴォルフラムにもこういう瞳を向けていた。歳の離れた弟と外見年齢が近いだけあって、類似した気持ちになるのだろう。
意外と似ている三兄弟は母の手料理がなくても、違ったかたちで愛情を注がれていたはずだ。
「好きなんですね、肉じゃが」
「まあね。あんた好き嫌いなさそうだよな」
広間で食事を摂っている姿を何度も見たが、どれも残さずに食べていた。
「食べられないほど嫌いなものはありませんね。でも、人並みにありますよ」
「そうなの? なんか意外だな」
背もたれに寄りかかり、高い天井を見上げる。ヴォルフラムは晩餐のときから変わらず、今も決まった順序で食べていた。彼も食事の癖はあるのだろうか。
「甘いのは嫌いじゃないんだよな。じゃあ、好き?」
こんなに単純なのに、今まで聞いたことがなかった。言わなくてもわかってくれて、聞かなくてもわかることがあって。
だけど、それだけじゃ足りない。
お互いが知るためには声に出して伝えて、相手に届かなければ意味がないのだ。
「あまり頻繁には食べませんね。ユーリは好きでしょう?」
「うん。たまにあんたが持ってきてくれる、ホットミルクに蜂蜜入れたのとかね」
「それはよかった」
柔らかく微笑んだ男が、未来の『いつか』にも居ると信じたい。きっと大丈夫だ。
約束があるから、おれは前を向いていられる。多くの人たちに支えられ、その日を目指していける。
「コンラッド」
「はい」
それを伝えようとして、けれど何でもないと首を横に振った。言うべきときは、今ではない。一番話すべき瞬間にしたかった。
焼き菓子の一つをつまみ、口に放り込む。
「美味しいな」
「そうですね」
嬉しそうに目を細め、彼も食べていた。
紅茶も家で母が淹れるより美味しいし、香りもいい。茶葉の違いだけではなく、きっと淹れ方にもこだわっているからだろう。
また、こんなふうに過ごす日が来て欲しい。そのためには誰一人として欠けてはならないのだ。
「約束、守れよ」
「ええ、絶対に」
小指を絡めたりはしない。だが、きっと大丈夫だ。
おれはコンラッドが還ってくる日を、待ち続けられる。
≪ 6 | | HOME | | 4 ≫ |