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夜、いつも通りベッドに潜り込んできたヴォルフラムが眠ってから、もう二時間は過ぎている。眠れないのは隣のいびきが煩いせいではない。理由もわかっていたが、解消する手だてを未だ知らなかった。
ゆっくりとため息を吐いて布団の位置を直し、キングサイズの寝具から落ちそうになっている婚約者を真ん中へ寄せる。
ベッドヘッドに軽く寄りかかって座り、カーテンが締まった窓の向こうを見詰めた。
海を越え、人間の国に足を運んだ日に。その地で、失ったはずの名付け親に再会し、漸くこの手に取り戻した日に、想いを馳せる。
元通りだとばかり考えていたのは結局自分だけで、相手は手放すつもりなどなかったのだ。
どうすればいいのだろう。何を諦め、何を捨て、何を選べばいいのか。
全てを手に入れられるほど強大な力を、持ち合わせてはいなかった。
強くなりたい。
戦争に強い国にしたいわけではない。誰かを殺す力が欲しいわけでもない。だが、大切な人を守るための強さが欲しかった。
「取り戻したんじゃ、なかったのかよ……っ」
堪えきれず絞り出した言葉は、誰に聞かれることもなく霧散する。はずだった。
「……ユーリ?」
名前を呼ばれ、最初はヴォルフラムを起こしてしまっただろうかと、隣に目をやった。だが、その声が彼のものではないことに気付いて、ドアへと視線を移す。
「コンラッド?」
ゆっくりと扉が開かれて、見慣れた姿の男が立っていた。
「まだ起きていらしたんですか」
困ったように微笑んでベッドまで寄り、ユーリの傍に膝をつく。その無駄のない動作に、唇を噛んだ。
「あんたこそ、こんな時間にどうしたんだ?」
「俺は……城の中を散歩していたんですよ。そうしたら丁度あなたの声が聞こえたから」
薄茶の瞳が細くなり、銀の星は輝きを潜めている。
城の様子を目に焼き付けたくて? と聞きそうになったのを、すんでのところで呑み込んだ。
まだ彼をシマロンに送ると決まったわけではない。まだ何も決めていない。
「眠れないんですか?」
「うん、ちょっとな。身体動かしたら眠れるかも。なあ、キャッチボールしようぜ」
「こんな夜更けでは、ボールも見えないでしょう? それに、ギュンターやグウェンが知ったら叱られますよ」
諭すような口調だが、目を柔らかく細めている。この会話さえまるで至上の喜びだと、噛みしめるように。
「ちぇっ、じゃあ朝を待つしかないかー」
「そうなりますね」
「なあ、そんなところにいないで、こっち座れよ」
場所を示すために隣をぽんぽんと叩くと、何かを考えて動きが止まる。だがそれはほんの一瞬で、彼が気付かせまいとするから、ユーリも気付かなかったことにした。
加わった一人分の体重が、上等なベッドを沈める。実家の安物と違い、眠っているヴォルフラムと合わせて三人分の重みにも、軋むことはなかった。
「…………」
「…………」
沈黙が訪れてしまった。普段ならこの沈黙さえ穏やかで、心地よいとさえ感じるひとときだ。だが、今は息苦しくて仕方がない。
話題を探そうとして見つからず、どんな会話をすれば盛り上がっていたのかさえわからなくなっていた。
「……あー、なんか、困っちまうよな。箱や鍵のことなんて、もう片付いたと思ってたのに」
だから、ふと思い付いた言葉をそのままに吐き出したら、よりにもよって最悪な話題だった。
「……あなたが」
彼らしくなく、あからさまに言葉を選んでいる。けれどすぐに決意の輝きを秘めた薄茶の瞳が、まっすぐにユーリを射抜いた。
「あなたが胸を痛める必要なんてありません。どうか思うままに」
「……っ」
そう出来たらどれだけ楽だろう。コンラッドは、過去の行動が多くの者を傷付けたことを知っているから、シマロンへ行くとは言わない。そして何より、最愛の主をも傷付けたことを知っているから、国を離れるとは言えなかった。
彼を手放さずに、戦争を回避する方法があればいいのに、その逃げ道は既にふさがれている。
「おれの言うことなら何でも聞くって? そういうことかよ」
吐き捨てた言葉は酷いもので、否定を望んでいた。首を横に振って欲しいが故の、乱暴な言い方だ。
「陛下の、御心のままに」
だが、彼は思う通りにしてくれない。全てを決めろと。
数ヶ月前までただの高校生で、婚約者にもへなちょこと言われる子供に。
「そんなの、……思考停止と同じだろ」
「俺は、俺の意思であなたに従うんです。勿論グウェンも、ヴォルフも、ギュンターも」
答え方まで弟と似ている。何処までもこの兄弟は似ていて、ユーリの逃げ場を失わせていく。悔しいのに、どうしようもない。
たとえば地球にいる間、眞魔国の時間が進まないのなら、今すぐにでも埼玉の実家に帰っただろう。
それが単なる問題の先延ばしにしかならず、逃げでしかないと理解していても。
だが現実は違う。地球に帰っても眞魔国の時間は勝手に進み、下手をすれば期限さえ切れて次に戻ったときには、戦争が始まっているかもしれない。
「どうすればいいっていうんだ」
「もしも俺が此処から離れるとしても」
「そんな話聞きたくない」
耳を塞ごうとしたが、彼の力強い手に抑えられて身動きすらとれなくなる。普段は周りに呆れられるほど甘いのに、こんなときばかり逃げを許さない男が憎らしかった。
「何処にいても、あなたの幸せを願います」
「…………っ」
目の前の男はいつだって他人のことばかりだ。大切にする気持ちが彼に伝えきれずもどかしくて、たまにひどく虚しくなる。
「覚悟は、出来ているから」
闘う覚悟か、国を離れる覚悟か。聞いてしまえば何もかもが壊れる気がした。
「コンラッドには、コンラッドの幸せを見つけて欲しいんだよ」
苦し紛れにそう告げてみても、届かない。届かないことに気付いていながら伝えようと藻掻くのは、やはり伝わって欲しいと願うからだ。願ったぶんだけ、裏切られてしまうとしても。
「俺の幸せは、あなたが幸せでいてくれることです」
そんな言葉が聞きたかったわけではない。ほんの小さな願いさえ、彼は叶えてくれなかった。
ユーリの理想の幸せの中には、名付け親の存在も含まれている。コンラッドも当たり前のように傍に居て、平和に笑って過ごせる日々のことだ。
だが彼の考える未来には、ユーリの傍に彼自身はいない。遠くで見つめていられれば十分だと思っているからだ。
「あんたがそれを言うのか」
四六時中世話をしていろと、子供染みたことなど言わない。けれどもっと、彼個人の幸せを追って欲しかった。
「何処にいても。何処に行くことになっても」
噛み合わない意見は、優しささえ残酷になる。きっとこの男は何も気付いていない。頭でわかった気になって、何も身になっていないのだ。
「あなたが幸せであればそれでいい」
おれが言いたいのはそんな事じゃない。
言っても無駄だとわかってしまって、もう何も言えなくなってしまった。
彼を選んだとして、誰も責めないだろう。きっと民も臣下も、王が決めた通りに動く。それが正しいと信じて。
ギュンターはずっと、平和主義を唱えてから、それを叶えようと物事を考えてくれていた。
ヴォルフラムやグウェンダルだって、初めは戦争のことばかりだったが、今ではそうじゃなくなっている。
彼等に幻滅されるかもしれないが、その代わり、コンラッドは手放さなくて済むのだ。戦争になったとしても、彼だけは傍に置き続ければいい。他の何を失っても、彼だけは離さなければいい。
酷い考えだと理解している。多くを犠牲にして、自身の望みを叶えようとするなんて。
けれどもう、彼を失いたくはなかった。
寄りかかり、肩の力を抜ける場所。眞魔国で実家にいるときのように安らげるのは、名付け親と過ごす時間だけだった。
本人が全てを諦めてしまっているのなら。ならば、自分だけは諦めてはならない気がした。
足掻いて藻掻いて、みっともなくてもいい。他の何を失っても、彼だけは。
「なあコンラッド。明日、海に行こう」
「どうしたんです、いきなり」
「約束しただろ」
まだこちらの世界に馴染んでいなかった頃の約束だ。彼が忘れてしまっていても無理はない。
唐突すぎる提案だったが、ウェラー卿は頷いた。
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