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爽やかな風が頬をくすぐり、ユーリは目を覚ました。
隣からはぐぐぴぐぐぴという、昨夜すぐに寝入ってしまったヴォルフラムのいびきが聞こえる。
カーテンから漏れてくる光は変わらないが、枕元に置いていたアナログGショックは、普段より少し遅い時間を示していた。コンラッドが起こしにくるのが遅れるのは、珍しい。彼が寝坊する姿を想像して笑みが漏れた。
いつもは身支度をすっかり済ませ、寝癖もなく微笑んでいるから気付かなかったが、たまには寝坊もするかもしれない。
朝は心地よく、眞魔国の夏は湿気が少ないため過ごしやすい。エンギワル鳥の鳴き声に起き上がると、音を立てずに扉が開かれた。
よく似合うカーキ色の軍服を身に纏った男は、既に着替え始めている主を見つけると、僅かに驚いたように眉を上げる。
「おはようございます、すみません。遅れました」
「おはよう、コンラッド。寝坊?」
見た目はいつも通り爽やかだが、急いでいたのか額に汗が滲んでいた。
「そんなところです。一人で起きられたんですね」
「子供じゃないんだ、起きられるよ」
「おや、それは残念」
眠っている間に絡まった髪を直されている間の、彼の視線がひどく優しい。居たたまれなくて、つい顔を逸らしてしまった。薄茶の瞳が温もりを帯び、銀の星がふわりと綻ぶ。そんないつもと同じようでいて、いつもとは少しだけ違う。だが、これもひとつの日常だ。
「なんで残念?」
「寝顔を見られるのは、俺の特権だから」
「そりゃあいつも寝坊してばっかだけどさー。っていうかヴォルフと一緒に寝てるんだから、あんただけの特権ってわけでもないんじゃねえの?」
「けれどヴォルフは、陛下より先に眠ってしまうでしょう?」
起きるのも彼のほうが後では、ユーリの寝顔を見る機会はないだろう。そう言われてしまえば返す言葉もなかった。
もう寝癖は直っているはずなのに、髪を梳く指は止まらない。それでもコンラッドの手というだけで心地よくて、払う気にはならないのが少しおかしかった。
「陛下って呼ぶなよ、名付け親だろ」
だから意識して保護者の手から逃れ、朝の日課に誘う。
「ロードワーク行こうぜ、コンラッド」
「ええ、喜んで。ユーリ」
外は清々しく、風が心地よい。空は青く澄み渡って、時折流れる雲が地面に陰を作った。
少し走り、肩慣らしのキャッチボール。それらが終われば、シャワーを浴びて居室へ向かった。
ユーリが前を歩き、護衛は数歩後ろを歩く。振り返れば当然のように控えていて、目が合えばどちらともなく笑い合った。
血盟城に於いてそんな光景は見慣れたもので、王にとっては何にも代え難い安らぎのひとときだ。
居室のドアを開けると、ヴォルフラムはベッドから抜け出していて、既にいなくなっていた。
「あれ? ヴォルフは?」
「珍しいですね、あいつがいないなんて」
「うん。今日は珍しいことだらけだな。あんたは寝坊するし」
困ったように眉を下げている。
多くの場合彼はネグリジェのまま座っていて、尻軽だの浮気者だのと一通り罵ってから、着替えを始める。
黙っていれば天使のような自称婚約者は、口を開けば気性の荒いポメラニアンだ。ウェラー卿が眞魔国を離れている間妙に男前だったが、ギュンターからのお守りのお陰だったのだろうか。
「そういえば今日の執務は休みだってさ。ヴォルフラムも朝飯来なかったし、ギュンターもグウェンもずっと忙しそうにしてる」
「そうですね」
国内の問題だとしても、王の元まで情報が上るまで少し時間がかかる。すぐに知らせるべき事柄を別として、各地域の小さな問題は王まで届かない場合もあった。
今回もそうであればいい。
説明できない胸騒ぎを誤魔化すように、手に持ったままの野球ボールを弄んだ。
「大事であれば、すぐにあなたに報せるはずです。だから、そんなに心配しないでください」
コンラッドにはそんなユーリの不安さえお見通しなのだろう。安心を与えようと、爽やかな笑みを絶やさない。
だが笑顔の裏に何かを秘めているような、漠然とした不安感。単なる勘でしかないが、無視出来なかった。
「あんた、何か隠してるんじゃないのか?」
「俺が?」
以前ははぐらかされてしまった。問い詰められないまま、彼はシマロンへ渡ってしまった。
だから今度こそは、あの時の二の舞にするわけにはいかないのだ。大袈裟かもしれない。臆病になっているだけかもしれない。それならそれでいい。
顔を見ずに表情がわかっても。何を考えているかわかっても。もどかしいことに、その全てを知れるわけではない。
彼の口から答えてもらわなければ、多くを知らないままでいることになってしまう。昔のように。
「そうだ。一番近いひとのことくらいわかるよ」
実際は何も知らないが、悟られてしまえばウェラー卿は口を噤んでしまうだろう。何もないと誤魔化し、躱される。大切にされていると肌で感じるからこそ、多くの危険から遠ざけようとする意思が窺えた。
ユーリとて危険な目に遭いたくはないが、保護者の行動は、時折過保護すぎる気がする。
危険なものから遠ざけ、雑音があればその手で耳を塞いで。悲しいことに目を背けたいわけではない。五月蠅くてもそれは民の声であり、受け入れて、改善しなければならないことだ。
「本当のことを言ってくれないか」
「ユーリ、」
尚も言い渋る男の胸元を掴み、体勢を崩させて乱暴に視線を合わせる。手から離れた野球ボールが落ちて、何処かへ転がるが気にしない。瞳を覗き込み、奥の奥、心の中まで探るように見つめた。
「あんただけに抱え込ませたくないんだ」
気のせいならそれでいい。要らぬ心配ならそのほうがいい。けれどそれなら、そう思えるだけの確証が欲しかった。
「大丈夫です」
筋肉のついた腕が背中に回り、もう片方の手で頬を撫でる。小さな子供をあやすように、親指で目尻を擦った。
「俺はもう二度と、黙って離れたりしません。あなたの許しなく飛び出したりしない。二度と、あんなふうに悲しませないから」
その瞳は、嘘を吐いていなかった。その声は、心からの真実を伝えていた。だからきっと、信じるしかないのだろう。
この先何があっても彼が、何も言わずに消えることはないと。必ず全てを話すと。
「わかった」
「約束します」
話を聞く時は、もしかしたらとても近いのかもしれない。それでもどうか、その日が遠くであればと願うことしか出来なかった。
願いは、その日のうちに裏切られることになる。
神妙な顔をしたギュンターとグウェンダルに聞かされたのは、ユーリにとって思いもよらない言葉だ。
すぐ後ろに控えている男を振り返るが、彼に動揺の色は見えない。
まるで全てを知っていたかのような、穏やかさ。来るべき時が来たのだと、諦めにも似た表情。
漸く気付く、彼が今朝起こしにくるのが遅れた理由。執務が休みになったのも、ヴォルフラムが朝食に同席しなかったのも、全て同じ理由からだ。
「コンラッド、あんた知っていたのか?」
「………陛下」
その場に膝を折り、こうべを垂れる。
大シマロンと戦争を始めるか、箱の鍵であるコンラッドを大シマロンに送るか。
たった二択の未来だけ、突きつけられていた。
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