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窓の外で鳥が鳴いた。眞魔国では見かけないが、シマロンの地に着いてから、もう何度も聞いている声だ。
血盟城より幾分狭いその部屋には、木製のローテーブルが一つと、二人掛けのソファで机を挟むようにして置いてあるのみだ。それに深く腰掛け、窓越しに遠くの空を見つめる。透き通るような水色の空は、遙か海を渡れば、故郷へ続いていると信じられた。たとえ手が届かなくても、彼が遠くで笑っていてくれるのならそれでいい。そう決めたのは自身だ。
ノックが聞こえ返事をすると、銀色のワゴンを押して使用人が入ってきた。
かちゃり、と小さな音が立ち、紅茶を淹れている。彼は単なる一使用人にしかならず、詳しいことなど何一つとして知らされていないはずだ。
いくつかの茶請けと共に出され、小さく息を吐く。世話をされることに慣れていないわけではない。だが、愛しい主の傍に仕える喜びを知った今、物足りないことは確かだった。
コンラートとてこの国にいる間、何もしなかったわけではない。
先代の言葉を、自身の言葉で伝える。諍いのない世を望んでいたのだと、そして自らも同じだと納得させることに、随分と手間取ってしまったけれど。ようやくわかってもらえた。
地球から還り、あんなにもすぐに皆に認められた、たったひとりの主を想う。やはりあの方は素晴らしいのだと、素晴らしい主を持てて幸せだと、心から感じた。そんなことを伝えてしまえば、彼は慌てて否定するのだろうけれど。
ベラール二世殿下が会議の間、ウェラー卿はこの部屋で時間を潰している。以前より自由が減っているのは、仕方のないことだ。客室と呼ぶべき場所ではあるが、監視をするために閉じこめていることは明らかで、会議を聞かせるわけにもいかぬ。かといって目を離した隙に何か企てられてはいかぬ、というところか。
眞魔国側から見れば、彼を人質として送ったことになっている。だがシマロン側からすると、全く違う展開になっていた。賓客として受け入れられた廃王家の末裔は、自らの意思で再びベラールの元へ訪れたのだ、と。
上層部に隠れている反ベラール王政の者には、感づかれていないはずがない。それでもウェラー卿が自らの意思で訪れたという情報は、抑止力となっている。酷い扱いはされない約束となり、見つからぬ反体制に火を付けぬための。
たとえばこんな時、あの快活な、永遠の主ならばどう動くのかと考える。平和を望み、太陽のような眩しさを湛える主ならば。
ユーリ、と。
音には出さず、口の中だけで呟く。決して戻らない時間は、自らの手で覆い隠してきた。彼だけに、見えないように。
大丈夫だ。彼が覚えていなくても、自身が覚えていることが何よりの真実であり、そして大きな活力となる。
太陽は燦々と、遥か彼方へもその輝きを届ける。
ユーリの活躍は、海を超えたこの国にも伝わっていた。
部屋の外で、硬い板を叩いたような大きな音が鳴る。会議が終わり、その扉が開かれたのだろう。この部屋の扉も開かれ、視線をやるとベラール四世が立っている。その後ろをベラール二世が足早に去っていくのが見えた。どうやらウェラー卿に構う余裕もないらしい。笑みを作ると、立ち上がって数歩前に出る。
服装は飽きないのか、昔と変わらぬ派手な色のままだ。青赤の線が入った黄色い生地で、折れそうなほど細い身体を包んでいる。
初老と表しても差し支えない男は、子供のように無邪気な狂気を秘めていた。
「コンラート、コンラート!」
「如何致しましたか、陛下」
上辺だけの言葉はするりと口から滑り出る。彼は初めて会った時と比べるとかなり老けた。
人間の中で過ごしていると、魔族との寿命の差をまざまざと見せ付けられる。それはシマロン人も同様だ。
魔族でいうのならば、二世は既に二五〇歳を過ぎている。疾うに隠居する年齢にも関わらず、政治を取り仕切る彼に不満を持つ者が増えていた。
内部分裂など、反体制にとっては願ってもない状況だろう。
それを好機ととらえ動き出した彼等を止めたのは、まだ記憶に新しい。
平穏が何よりも尊いのだと、思い描くのはいつだって同じ人物だ。
「ねぇ、剣術の指南をしてよぉ、いいよねぇ」
「ええ、勿論。ですが、よろしいのですか? 殿下はまだお忙しそうですよ」
「朕は……伯父上にとって朕は、飾りにしかならないんだよぉ。さっきの会議の間だって……アハハ、ねえ、いいことを教えてあげよっかぁ」
彼が声を潜めると、いつの間にか使用人は部屋から去っている。
「魔王がねぇ、ウェラー卿を取り戻したがってるんだって」
此方がどんな反応をするのか、好奇心に満ちた瞳を向けられる。茶色の双眸は輝いているが、そのもっと奥には、光も届かぬほどの淀みが存在していることを、知っていた。
唐突に最愛の主の話題を出され緊張が身体を走ったが、恐らくベラール陛下は気付いていないだろう。
「……いいんですか、俺にそんなことを教えてくださっても」
いいんだよぉ、と、間延びした話し方で、大きな襟を揺らして笑う。
「どうせ伯父上の権力はそう長く保たないことくらい、アハ、気付いてるよねぇ。あなたをここに置き続けることで、今まで味方だった人達も離れていって、その上あのお年だよぉ。先が長くないのに、いつまでああしているんだろうねぇ。ねえ、眞魔国に行きたい? そんなこと、コンラートは言わないよねぇ。せっかく戻ってきてくれたんだもの。ここが、コンラートの還る場所なんだもの」
還る場所、と言われ、甦ったのは故郷で過ごした日々だった。何処にいようと、彼が忘れていようと、関係ない。自身にとっての還る場所はひとつしかなく、そして一人の元しかない。
もとは先祖が統治していたとしても、ウェラー卿コンラートが忠誠を誓ったのは双黒の主だけだ。
「伯父上は、鍵を手放すか悩んでるよ。帰らせてしまえば、伯父上に反対してる人も大人しくなるかもしれないって。だけど言わないよね、眞魔国に行きたいなんて。だってここは、もとはウェラーの土地なんだもの。ずっとここにいるって、約束してくれるよね」
まくしたてる彼を宥めるように、肩をさすった。そうして、幼い子供に言い聞かせるように、目を合わせる。
「それは、俺個人が決められることではありません」
安心させるように笑みを貼り付けた。本心を語る理由など、ここにはひとつもない。
「だけど、朕は、今もコンラートから王位を簒奪してる」
「陛下、以前にも申し上げたはずです。俺は簒奪の歴史を知りません。生まれた時からウェラーだったと。それに、もしも知っていたとしても、俺は王位などいりませんよ。現在の大シマロン王はベラール陛下、あなたです」
箱が大シマロンの元にない以上、本来ならば鍵も必要ないはずだ。だが、ベラール二世はよしとしない。既に処分は終え、人の手にも魔族の手にも渡らない確信があるとはいえ、それを殿下は納得していないのだ。
仮に誰にも見つからない場所に廃棄したと告げたとしよう。あの男は、何が何でも探しだそうとする。箱がこの世に存在し、その鍵が判明している限り。
だから結局、自身が眞魔国に還れる可能性などないに等しい。だが、主と交わした約束を、反故にしてはならないだろう。
もう二度と、あの日々が戻ることはないとしても。主の中から、共に過ごした時間が消えてしまったとしても。
あの時の主の言葉を、俺はいつまでも信じ続けられる。
「さあ、剣術の稽古でしたね。それでは稽古場へ参りましょう、陛下」
そうして何度でも、心の中で繰り返すのだ。
あなたが選んだ幸福ならば、俺は、どんな未来でも受け入れよう、と。
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