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フォンヴォルテール卿グウェンダルは小さくため息を吐いた。昨日、執務の途中に入った情報には、早く手を打たねばならないだろう。十貴族会議を開く件で鳩を飛ばしていると、真剣な表情のユーリに真っ直ぐ目を合わされた。
この魔王は、今もコンラートと過ごした日々を、知らないままだ。
すぐ下の弟が国を離れ、もうかなり経つ。人間が歩む時間は、魔族にとってひどく短い。たったそれだけの間に、目まぐるしい速度でシマロンは変化していった。
話はコンラートが国を出る前夜に遡る。深夜に訪ねてきたすぐ下の弟は、頼みがある、と。この男の口からは初めて聞く言葉を吐いた。
混血であるが故に子供の頃は成長も早く、外見は殆ど同世代だったことを覚えている。その上大人に頼らずとも、一人でこなしてしまう器用さがあった。
最初に黙ってシマロンへ渡った時もそう。何もかも一人で背負い込み、誰にも告げずに消えていった。どうやら王は弟を視野が広い男だと思い込んでいるようだが、これと決めたら一つしか見えなくなる性格は、昔から変わっていない。
今回のことも、ユーリは勿論のこと、グウェンダルやギュンターとてこのまま捨て置くつもりはなかった。時間をかけてでも交渉し、取り戻すつもりでいた。だがそんな周囲の考えを知ってか知らずか、弟は強い決意を薄茶の瞳に灯し、同時に諦めの色をも宿す。
そうして告げられたのは、当時のフォンヴォルテール卿にとって思いも寄らぬ言葉だった。
曰く、陛下がウェラー卿と過ごした日々の記憶をなくしていたら、彼に話を合わせ続けて欲しい。
思考が読めず、何を企んでいるのかもわからなかった。記憶をなくす。都合良く弟の記憶だけが、魔王から消えてしまう可能性を示唆していることは理解出来た。
だが唐突すぎる話には、根拠もなければ方法もないはずだ。時折突拍子もないことを言い出す男だから、今回もその類を疑った。
そもそも一人の臣下以上に、名付け親として信頼しきっているユーリが、すべての記憶を消すことなど有り得ない。あの子供は名付け親が他国へ渡った程度で、記憶が消えてしまうようなやわな神経はしていないだろう。
記憶操作の魔術は耳にしたことがないが、強大な魔力を以てすれば不可能ではないのかもしれない。しかしそれには消してしまいたいと本人が強く願う必要がある。
どちらにしろ、ウェラー卿が言った状況は有り得ないと高を括っていたのだ。
魔力はなくても武人として信用しているが、目の前の男は時折思いも寄らぬ方法を実行する。主を大切にするが故の決断だとしても、行きすぎた判断も少なくなかった。
今現在、魔王はかつてウェラー卿という男が仕え、護衛として片時も離れなかったことを知らない。記憶の何もかもが消え、過ごした日々のすべてが『なかったこと』とにされていた。記憶の隙間には他の兵士が都合良く埋められ、違和感さえ持てずに。忘れたことさえ、忘れている。
少年王は十五年前の日常との差違に、気付かないままだ。
人質として送らなければならなかった男の名を聞けば、思い出すかもしれないと。そんな希望を持っていた時期もあったが、いつしか諦めに変わり、繰り返される日常の一つになってしまった。
そんな王が、今回の一件で動きを見せたことには驚いた。グウェンダルは巧みに隠し、眉を僅かに上げるだけに止めたが。
「ウェラー卿に会いに行きたい」
「却下だ」
「彼と話がしたいんだ」
即答をものともせず、逸らされることのない漆黒の瞳は、昔と何一つ変わらない。一晩考えて出した意見は、やはり子供の頃のように無謀な案だ。
ユーリの性格から、推測は容易に出来た。だがシマロンとは互いを牽制し合い、拮抗している。そんな国にやすやすと王を送れるはずがない。
「十貴族会議でシマロンへ行く者を決める。魔王陛下が向かわれる必要はない」
「それじゃだめだ。直接会って話が聞きたい。グウェン、どうにか出来ないか」
なおも食い下がろうとする国主に眉を潜めた。
「危険だってことはわかってる。停戦してるだけで、今だっていつ戦争が起きてもおかしくない状況ってことも。だけど、そんな国に一人で彼はいるんだろ」
弟のことをユーリは『知らない』はずだ。見ず知らずの食い逃げ犯を助けに行った日を思えば、少年にとってそれほど大きなことではないのかもしれない。だが、あれから彼は大きく成長した。王としての自覚を持ち、漸く落ち着いたかと安心していたが、本質はなにも変わっていないのだろう。
王を納得させなければ、きっといつかのように密航してでもシマロンへ渡る。
「もしもこれがシマロンの策略だったらどうする? 王が国を空けるとなれば、当然護衛に多くの人員を割くことになる。警備が手薄となった隙をついて、奴らに攻め込まれる可能性も捨てられん」
王を危険な目に遭わせるわけにはいかない。新米と自らを称していたころとは違い、自身の重要さも理解していなければ話にならないだろう。口を閉ざしたユーリが何を考えているとしても、臣下として、譲ってはならない一線だ。
「わかってる。眞魔国を危険に晒したいわけじゃないし、危険な目に遭いたいわけじゃないよ。だけどさ、おれ、ウェラー卿のこと何も知らないんだ。眞魔国のために、一人でシマロンに行ってくれたっていうのに、一言も話さなかったんだろ?」
もしここにヴォルフラムやギュンターがいたならば、一体どんな顔をするのだろう。コンラートと何も話さなかったわけではないことを、当人以外の全てが知っている。大切な者を手放す苦しみを味わっているのに、少年はその記憶すら失っているのだ。
それが彼自身にとって喜ばしいことなのか、悲しむべきことなのかさえ、誰にもわからなかった。
「五分でも十分でもいいんだ。頼むよ」
「……………」
頷けるはずがない。すぐ下の弟ならば心配しなくても、何もかも納得した上で国を出た。勿論、ユーリとはこれ以上ないほど話し合っていた。だが、説得する術は記憶とともに失われてしまっている。
「あんたも知り合いなんだよな? 昨日、ヴォルフラムも何か隠してたふうだった」
「シマロンへは行かせられん。例えウェラー卿が、誰の知人だとしてもだ。魔王陛下を危険に晒すことなど、出来るはずがなかろう」
「……わかった」
諦める様子はないが、納得がいかないながらもひとまずは引く姿勢でいるようだ。こんな表情をしているときに放置して、今まで良い結果になった試しはない。眉間の皺をいっそう深くなったのを感じ、それをほぐすように指で揉んだ。
「…………他の策を考える。だが、期待はするな」
「本当か?」
「ああ、だから妙な真似もするな」
「ありがとう、グウェンダル」
後半を聞いていたのかと問いただしたくなるほど、表情が明るくなる。太陽のようだ、と呟いた誰かを思い出した。ここにはいない男だ。
「ユーリ」
部屋を出ていこうとした魔王を止めると、扉が開かれる直前で振り返った。呼んでおきながら、何故呼び止めてしまったのか、自身でもわからない。伝えるべきことは伝えたはずだ。
「なに?」
ユーリが魔王になってから、様々なことが変わってきた。今この日を迎えることも、恐らくこの少年が眞魔国で王となることを決めなければ、なかっただろう。
王の行動が、必ずしも全てが正しいとは限らない。だがそんな王の一番近くに居続けた弟の行動が、最善であったこともないだろう。
「お前が無茶をしないことが、コンラートのためにもなる」
「それどういう……………いや」
尋ねかけたが、小さくかぶりを振ってやめていた。何でもないと言い残し、執務室を出る。
小さく息を吐き出すと、静かになった部屋の窓から、青く透き通る空を見つめた。
白い鳩が一羽、飛んでいく。
時間は今も、進み続けていた。
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