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2


 万年筆で紙をひっかく音が響く。
 わざわざ顔を上げたりはしないが、傍には摂政の気配が変わらずあった。眞魔国に初めて還ってから、何も変わらない一つの日常だ。
 子供の頃は、ヨザックや他の大人に手伝われ抜け出す事も、息抜きにキャッチボールに付き合って貰うこともあった。だが今はもう、そんなことはしていられない。
 積み重ねられた書類の山は、終わったほうと目を通していないものが、漸く同じ高さになった。甘いものを食べて、少し休憩がしたい。
 背もたれに寄りかかり、長く息を吐き出した。疲れた目を休ませるために目蓋を下ろす。
 不意に、あるはずのない記憶が過ぎった。顔も名前も知らない男が、タイミングよくお茶とお菓子を差し入れてくれる幻想。ダークブラウンの髪は襟足が襟にかかるくらいの長さで、指を通してみれば柔らかそうだ。覗き込んでよく見ると、薄茶の瞳には銀が散っている。それが夜空に浮かぶ星みたいできれいだと思った。
 いつか、夢で見た光景だろうか。そんな人が居てくれればという願望が生み出したものか。
 ユーリには判断出来なかったが、現実にはいないのだ。どれだけ考えたとしても、状況が変わるわけではない。
 途切れた集中を取り戻すため姿勢を正し、書類の文字に視線を這わせる。扉の外で、いつもより早い足音が執務室の前で止まった。
 ギュンターだろう。一呼吸置いて、戸を叩かれる。
「いいよ、入って」
 静かに扉が開く。
 細縁の眼鏡をかけた男が、薄い灰色の髪を靡かせながら部屋に踏み入れた。抱えている書類は、増やされる仕事ではないことを願おう。
「失礼します、陛下」
「どうしたんだよ、そんなに慌てて」
 ここ十年の間で、大シマロンとの関係は少しずつ変わってきている。そしてそろそろ、大きく事態が動く可能性があると囁かれていた。
 十五年前、シマロンには人質を送った。
 その件に関して何故かユーリの記憶は曖昧模糊としていて、いきさつを語られても、まるで物語の中のように他人事にしか聞こえなかった。
 当然ながら、その人物のことは何一つ覚えていない。全く知らない者だろうと辺りをつけているが、一言も話し合わなかったのだろうか。
 重要な役目を押しつけた魔族のことを忘れたなんて、申し訳ないと思いつつ、会ったことがない人物を思い出せないのは仕方がない。
「ベラール四世の失脚を狙う者がいます」
 堅い声音のまま、一息で告げられた。
 聖砂国へ渡ったとき、アーダルベルトに聞いたことがある。地下で廃王家の信奉者が動き始めたのだと。
 そしてその廃王家の子孫こそが箱の鍵であり、人質として送った人物。彼を、王に祭り上げようとしているとも聞いた。長い時間をかけて勢いをつけ、一気に行動に起こしたのかもしれない。
「それって、シマロンに行ってもらった魔族を、王にするつもりってこと?」
「恐らく」
 苦々しく唇を噛んだフォンクライスト卿の表情は、その魔族を思うが故のものだ。元々彼は教師だったと聞いている。二人が知り合いだったとしても、何ら不思議はなかった。
 本来ならば、他国の情勢に眞魔国が下手に口を出すべきではない。友好国でもない今、ウェラーの末裔に危害が及ばないためにも。
 彼は魔族と人間との混血だが、魔族として生きると決めたと聞いた。そんな人が王になってしまえば、二度とこの地を魔族として踏めなくなってしまいそうだ。
「唐突……ってほどでもないのかな」
「ウェラー卿を人質としてシマロンに置くことで、現王政への反発が高まったのでしょう」
 元々彼は十貴族と同じ地位を得ていたと聞いているから、酷い扱いはされていないはずだ。だが、かといって傍観していられるはずもない。
 人間の寿命と魔族である彼の寿命には、大きな差がある。長い時間の間に、連中は事を起こそうとくすぶっていたのだろう。シマロンはおそらく、民に事実は公表していない。だが、上層部に隠れる彼らは気付いていないはずがないのだ。
「取り戻さないといけないよな」
 無意識のうちに、口をついて出ていた。取り戻すという言葉は、本来自分が持っていたという意味だ。
 彼の精神は彼のものであり、自らの所有物ではないというのに、自分らしくないとは思う。
 武人から一国の王へ。それはどんな気持ちだろう。ユーリは王になりたいと望んだことはなかった。国を動かす権力を、彼は欲しているのだろうか。
 コンラートの望みならば、流れに任せるしかない。眞魔国に居たくないのであれば、それは仕方のないことだ。望んで王になろうと云えば、最終的には彼の言い分を受け入れざるを得なくなる。
 だけど、そうじゃないのなら。
 たとえば彼が国に残してきた家族。兄弟。友人から引き離してしまうのは、本意ではない。
「あの者は、誰よりも深く陛下に忠誠を誓っておりました」
 ゆっくりと、長い睫毛を下ろし、まるで幸せな夢を思い出すような口調だ。
「どうか陛下」
 けれどすぐに表情は変わり、彼自身の願いを込めた呟きになる。続かなかったのは、私情を押し殺しているからに他ならない。
 どうしてあんたがそんなに辛そうな顔をするのかと、問いかけたくなるほど痛ましかった。王佐の表情は切実で、子供の頃よく見た涙と鼻水まみれになっている姿とは、繋げられないほど。
 ギュンターとも親しかったのだろうか。
 そう問いかけてしまうことは、ギュンターだけではなく、この場にいるグウェンダルでさえも傷付けてしまうと感じた。
「還りたいって思ってくれてるなら、おれはそれを叶えたいよ」
 聞けなかったフォンクライスト卿の言葉は、真摯に受け止めたい。
 知り合いであろうとなかろうと、大切な国民の一人であることは変わらない。
 それに、国のために大きな決意をしてくれた魔族に、誠意を尽くしたかった。



 部屋に戻ると、窓の外を眺めながらヴォルフラムがお茶をしていた。もう慣れたが、相変わらずの我が物顔に笑ってしまう。
 今日は少し機嫌がいいようだ。
「なんだよ、一人でいて楽しいか?」
「いつもより遅かったな」
「ああ、ちょっとな。そうだ、ヴォルフラムはウェラー卿って知ってるか?」
 ひくり、と整った彼の眉が反応する。これは知ってる顔だ。執務中の話題は、この婚約者ならば話せる。
「ギュンターの知り合いだったみたいなんだ」
 整った顔立ちがぎゅっと唇を噛み、一度目を伏せる。そうすると、彼の長い蜂蜜色のまつげが頬に薄い陰を作って、きれいだとつい見とれてしまった。
 不意に湖底色の瞳が現れ、まっすぐな視線を向けられる。
「あいつのことは、ぼくも知っている」
 はっきりと。けれどそれ以上を質問させない声音。遠い昔のことになるが、彼は人間を毛嫌いしていた。話題に上がった人物は混血だから、あまり話したくないのかもしれない。
 だが少しでも頭の中を整理したくて、構わず話すことにした。
「ベラールが王じゃなくなれば、その人は眞魔国に還って来れるのかな」
「どうだろうな」
 王がいなくなった国で、ウェラー卿を祭り上げる動きは強まるだろう。だが王座を退いたところで、彼らがすべての地位を失うわけではない。
「なあ、やっぱおれ、直接会って確かめたい」
 長い間、国から出なかった。それは王としての自覚というよりも、漠然とした不足感がそうさせた。安心して国を離れられる理由。出先でも安全だと信じられた理由。動き出すための原動力となるものが、不十分だっただけだ。そう思い始めてしまえば最後、脳筋族の性か今すぐにでも出立したくて、身体がうずうずしている。
 反シマロン勢力の力は強いだろう。だからといって国民を見捨てるわけにはいかない。
 もしかしたらウェラー卿は地位を欲し、シマロンの王として国を統べることを望むかもしれない。だが、望まないかもしれない。
 戦争を回避するために、彼をシマロンへ行かせた。取り戻すために力を尽くすと決めたはずだ。そして今、王が変われば、何かが変わるかもしれないのだ。
 一度声に出してしまったら、もう自分を誤魔化しきれなかった。
 気持ちは急速に膨らみ、明確な形となって存在し始める。
「シマロンに……ウェラー卿に会いに行きたい」

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