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たとえば彼が傍にいて、たとえば笑いかけてくれて。
そうしたひどく優しい刹那の積み重ねに、どうしようもないほど満たされていく。自らが付けた名を呼んで、彼が呼ぶ俺の名は特別な響きを持ち、きらきらと胸に降り注いで幸せを募らせた。
だから、想いに気付いたときには信じられなかった。こんなにも、浅ましくて、卑しくて、純粋な人に向けるには穢らわしいほどの、恋情を抱いてしまったことが。
どうして好きになどなってしまったのだろう。どうして臣下のままで、名付け親のままでいられなかったのだろう。どうして、気付いたりしたのだろう。
ユーリは絶対の存在であり、永遠の主。彼がいるから今の自分が在るというのに。
弟と無邪気に同じベッドで眠る姿に目を逸らしたくなったり。グレタにだけ与えられる穏やかな笑顔を羨んだり。
気付いてしまえば何の不思議も疑問も生まれない些細なことに、いちいち心が揺るがされていた。
ちりりと胸を焼き付ける炎に名前をつけたくはなかった。
音を立てないように扉を開けると、キングサイズのベッドでユーリが眠っていた。
溺れるほど柔らかい布団には、ヴォルフラムも一緒に寝ている。彼の婚約者だから、何も後ろめたいことはないだろう。それなのに、ひどく胸を締め付けられた。
ベッドの脇に立ち、寝息をたてる主に手を伸ばす。顔にかかる髪をよけ、その寝顔を見つめようとして。けれど何も出来ずに握りしめる。一瞬でも触れてしまえば、感情の熱は指先を通して伝わってしまいそうだった。
「陛下、起きてください」
「んー、あと五分…」
お決まりの台詞さえ心を満たしていく感覚を味わいながら、けれど決して伝えてはならないと目蓋を下ろす。
春になるにつれて気候は暖かくなっているが、日本育ちの主にはまだ寒いようで毛布は手放せていない。
「もう三番目覚まし鳥も鳴きましたよ。キャッチボールとロードワークは諦めますか?」
「えっ、もうそんな時間!?」
布団をはね飛ばして起き上がり、サイドテーブルに置いている時計を確認した。眠気の覚めた双眸で見上げられる。
「おはようございます」
「おはよ。陛下って呼ぶなよ、名付け親」
「……ユーリ」
彼の名を呼ぶだけで愛しさが湧き出す。この世の何より大切で、きれいなものだけを見せていたいのに、己の感情がそれを阻んだ。
その一線を越えぬよう努めても、名付け親と呼ばれる度に意志が崩れそうになってしまう。蓋をして閉じこめておくべき想いは、厳重に鍵をかけても容易に溢れた。
用意していたジャージを渡すと素早く着替え、中庭に向かうユーリの少し後を歩く。行き先は勿論中庭だが様子がいつもと違い、ちらちらと此方を気にしているようだ。
「何かありましたか?」
「うん、最近あんた、悩んでることとかあんの?」
どきりとした。彼にだけは隠さねばならない恋情は、たやすく見破られそうになる。だが漠然とした違和感を抱えていながら、形には成っていないのだろう。
それは単純に、主の恋愛の対象外だからという理由に他ならない。
話に集中しようとして歩く速度を遅くしたせいで、距離が近くなって考える時間まで短くなった。
「そうですね」
聡いひとだから、下手な誤魔化しは利かないだろう。
あなたが好きですと、伝えてしまえれば何かが変わるだろうか。想いを届けたとき、受け止めてくれるのだろうか。
受け止めてくれるのかもしれないが、同時に彼を悩ます種になると確定していた。
既に婚約者がいるというのに、伝えて何になる? 困惑と、戸惑いと、要らぬ気遣いばかりを生み出して、それだけ。
「どうしたらユーリが一回で起きてくれるのか、俺はいつも悩みっぱなしですね」
「うっ」
冗談めかして告げれば、眉を垂らして大袈裟に動揺して見せる。本当は悩んでなどいないし、むしろ朝のやりとりさえ胸を満たしていく幸せの欠片だ。
はぐらかしたと気取られてしまっては意味がないから、精一杯『名付け親』の顔をする。それ以上の感情など悟られてはならない。なかったことにしてしまわねばならない。
「けれど俺はあなたのことを考えられるだけで幸せなので、悩みなんて最初からないも同然なんですよ」
「そういうことは女の子に云うもんだろ」
彼以外にそんなふうに考えたことなどない。少々ひっかかったような顔をしていたが、すぐに一人で納得してまた数歩前を歩き出した。
もう、今の彼の頭にはロードワークのことばかりだろう。
ユーリに聞こえないよう小さくため息を零す。
何よりも大切だから決して云わない。
だからどうか、気付かないでいて。
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